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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第153回 [2024.4.25]

第二八巻 君臣 遺し宣りの文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 きみとみのこしのりのあや (その3)
 君臣 遺し宣りの文 https://gejirin.com/hotuma28.html
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 ときにいさわの あまつかみ そふのきさきも かみとなる
 せおりつひめと ををんかみ みやうつさんと
 みもかわに あのほるちゑて
 さこくしろ うちのみやゐに ふよほへる

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 時にイサワの 陽陰つ神 十二の后も 神となる
 セオリツ姫と 大御神 「宮 移さん」 と
 ミモ郷に 天上る方 得て 
 “サコクシロ内” の宮居に 二万年経る

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■イサワの陽陰つ神 (いさわのあまつかみ)
イサワは この場合はアマテルの都の 「イサワの宮」 をいいます。 ▶イサワ
アマツカミ(陽陰つ神・和つ神)は 「妹背の神・アマテル神」 の換言です。 ▶アマツ ▶妹背の神


十二の后 (そふのきさき)
アマテルの 「12人の側室」 をいいます。 ▶アマテル12后


セオリツ姫 (せおりつひめ)

■ミモ郷 (みもがわ)
ミモ+ガワ(側・▽郷) で、「中心部・内の区画」 という意味です。
この別名が “内(うち)” で、後世は 「宇治」 と記されます。
つまり “ミモ郷” とは、現在の 伊勢の内宮 の所在地 (三重県伊勢市宇治館町) です。

 ★ミモ (▽和・▽見間)
 ミム(▽見む)の名詞形で、ミホミオ などの変態です。
 「合い・間・釣り合う所」 が原義で、「中心・中央」 を意味します。

“内・中心” が何を意味するかといえば、やはりフトマニ図中心の アウワの座=中御座 を
地上になぞらえたものと考えていいでしょう。 ▶アウワ ▶中御座


■天上る方 (あのぼるち)
ア(天)+ノボル(上る)+チ(方・地) で、「天の上の所・天界における至高の位置」 という意です。
すなわちこれも 「天の中心・アウワの座・中御座」 を意味します。
そしてアマテルは これを地上の “ミモ郷” に得たということです。


■サコクシロ内 (さこくしろうち)
「天の輪の中心」 という意で、これもやはり 「アウワの座・中御座」 の換言です。
地上に降臨しているアマテル神は、“ミモ郷” に “サコクシロ内” と呼ばれる宮を造り、
そこに座所を移したということです。ウチ(内)は 後には ウヂ(宇治) となります。
 
 ★サコクシロ・サコクシ (▽冠釧・▽賢釧)
 「天の輪」 という意です。これは フトマニ図 そのものであり、“天の原”  “高天の原” の換言です。
 辞書には 拆釧 という語があり、“いすず(五十鈴)・うじ(宇治)にかかる” と説明します。

 ★サコ (▽冠・▽賢)
 サカ(冠・栄)の変態で、「上・高み・栄え」 などが原義です。
 この場合は 「天・天上・天界」 を意味します。

 ★クシロ (釧)
 クス+シル の短縮 “クシル” の名詞形で、クスは コス(越す)の、シルは スル(擦る)の変態です。
 両語とも 「往き来する/させる・回る/回す・還る/還す・輪になる/する」 などが原義です。
 よってクシロは 「回転・回帰・帰還・環・輪」 などを意味します。 ▶画像

 

【概意】
時にイサワの陽陰つ神の12人の后も神となる。
セオリツ姫と大御神は 「宮を移さん」 と、ミモ郷に天の至高の地を得て、
“サコクシロ内” の宮居に2万年が経る。

 

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 ときにゐそすす みやにはゑ つらつらおほす
 うゑすして はゑるもあめよ わかいのち あめかしらすと

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 時に五十鈴 宮に生え つらつら思す
 「植えずして 生えるも陽陰よ 我が命 陽陰が知らす」 と

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■五十鈴 (ゐそすず)
「50本目の鈴木(=まさかき)」 です。
普通は人手によって植え継ぎをしなければ生えてこないのですが、
この50本目の鈴は自然に生えてきたようです。この “五十鈴” の自生により、
アマテル神は世を去る時が来たことを悟ります。
   
 ★ヰソスズ・ヰスズ・イスズ (▽妹背鈴)
 「50本目の鈴」 の意の他に、イソ/ヰソ+スズ(鈴) の意味があります。
 イソ/ヰソは イス/ヰス(結す)の名詞形で、イセ(妹背)の変態、この場合は
 「妹背の神・アマテル神」 を意味します。スズ(鈴)は 「回転・回帰・帰還・循環」 などが原義です。
 ですから 「妹背の神の天への帰還」 という意にもなります。ヰスズ/イスズと短縮されます。


つらつら

陽陰 (あめ)
「万象を支配する陽と陰」 という意味で、ここでは 陽陰=自然 と考えて良いかと思います。

・空は助く 水 冷やす 埴は穢れ摩る 花も実も 陽陰の随なり 〈ホ15-2〉
陽陰領る木々の 花も実も 我が身の道と 知らざらめ 犯し隠すも 陽陰が知る 〈ホ17ー3〉

 

【概意】
時に50本目の鈴が宮に生え、つくづくお思いになる。
「植えずして生えるも陽陰よ。我が命を陽陰が知らす」 と、

 

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 やもかみお めしてわれよお いなまんと
 さるたにあなお ほらしむる まなゐにちきる あさひみや
 おなしところと のたまえは

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 八百守を 召して 「我 世を 辞まんと
 サルタに穴を 掘らしむる マナヰに契る 朝日宮
 同じ所」 と 宣給えば

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■八百守 (やもがみ)
「何百人もの臣」 という意です。 ▶八百(やも・やを)


辞む・否む (いなむ)

■サルタ
サルタヒコ(▽猿治彦) の略です。


■穴 (あな)
辞洞(いなほら) の換言です。


マナヰ (▽招居)・アマノマナヰ (▽陽陰の招居)
トヨケがアマテルを 「召し寄せる所・招く所」 という意味です。
ふたたびトヨケに招かれたのでしょうか? この地の洞にて天に還るようです。


契る (ちぎる)
「交える・結ぶ・縛る」 などが原義で、
この場合は トヨケの神霊を 「マナヰに纏る」 という意です。 ▶纏る


朝日宮 (あさひみや)

 

【概意】
八百の臣を召して
「我は世を離れんと、サルタに穴を掘らせた。
トヨケの神霊を纏ったマナヰの朝日宮、同じ所。」
と宣給えば、

 

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 もろおとろきて ととむれは いやとよわれは たみのため
 にかきおはみて もなそみよ ふちゐもとしお なからえて
 あめのたのしみ おほゆれは

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 諸 驚きて 留むれば 「否とよ我は 民のため
 苦きを食みて 百七十三万 二千五百年を 永らえて
 天の楽しみ 覚ゆれば」

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否とよ (いやとよ)
今風には 「いやいや・いいや!・Oh-No!」 みたいな感じでしょうか。


■苦き (にがき)
ニガシ(苦し)の連体形が名詞化したものです。
この場合は 千代見草の一種の 「ハホ菜/ハオ菜」 をいいます。 ▶千代見草 ▶ハホ菜
アマテルは地上での寿命を延ばすため、月3回だけの食事に苦いハホ菜を食べました。

・食 重なれば 齢なし ゆえに御神 月に三食 苦きハホ菜や 〈ホ1ー2〉
ハオ菜を食めば 千代を得る ワカ菜も同じ 苦けれど
 ハオ菜は百の 増し苦く 千代を延ぶれど 民 食わず 〈ホ24ー7〉


■百七十三万二千五百年 (もなそみよふちゐもとし)
この時のアマテルのおおよその年齢です。
仮にこの時が50鈴目の始まる直前だとすると、アマテルは21鈴125枝31穂生れですから、
より正確には 28鈴874枝29穂(=173万2469歳) です。


■天の楽しみ (あめのたのしみ)
肉体に縛られない 「天界/神界/非物質界での楽しみ」 をいいます。


■覚ゆれば (おぼゆれば)
今風には “覚えれば” で、「思い出せば・懐かしく思えば」 ということです。

 

【概意】
諸臣は驚いて留めれば、
「いやいや、我は民のため苦きを食みて、173万2500年を永らえ、
天の楽しみを懐かしく思えば。」



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 よにのこすうた
 つねにきく さをしかやたの わかかむり はとみもたみに
 をおととけ あわおつかねて ひつきなす もすそおくめと
 きみたみの をしゑのこして あにかえる

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 世に遺す歌
 『常に着く 差使八手の 我が冠 衣と裳 民に
 緒を届け “陽陰を束ねて 日月為す 裳裾を汲め” と
 君・民の 教え遺して 天に還る

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■着く (きく)
キク(聞く)は 「身に合わす」 が原義で、ここでは 「着る」 と同じです。
“聞く” では 「耳から音を取り入れる」 というイメージが強いため、“着く” と当てています。


■差使八手の冠 (さをしかやたのかむり)
これは “差使八つの御耳” のモノザネです。 ▶モノザネ
アマテルの 「八つ御耳の能力を象徴する冠」 です。

 久方の 天が下領る 我が君の 代々に伝わる 冠は
 アマテル神の 造らせて 
差使八つの 御耳に 聞し召さるる 朝政 〈ホ序〉

 
 ★八手 (やた・やて)
 ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの 「つの押」 をいい、“天元神” の換言です。 ▶押手
  
 ★差使八手 (さをしかやた) ★差使八つ (さをしかやつ)
 ★天元の差使 (あもとのさをしか) ★差使 (さし)

 「8押手の天元神 の使い」 という意で、アモトノサヲシカ(天元の差使) と呼ばれ、
 また サシ(差使) と略します。これは “元守” の換言です。 ▶差使(さをしか) ▶元守
 なお “天元の差使” を言う場合には、ホツマは ‘サオシカ’ ではなく ‘サヲシカ’ と表記しています。


衣 (は) ■裳 (みも)

■民に緒を届く (たみにをおとどく)
このヲ(緒)は 「端っこ」 を意味し、「冠の緒や衣裳の裾」 をいいます。 ▶緒
ですから 「冠の緒や衣裳の裾を民に渡して掴ませる」 という意です。
冠と衣裳の主要部は 「中心にある者=君」 を意味します。 ▶君


■陽陰を束ねて日月為す (あわおつかねてひつきなす)
「陽と陰を併せて、日と月の2つの役目を兼ねる」 という意です。
これは オシホミミの遺言の中の、“君は明も為しふたも為し” と同じ意味です。

 国民を 我がものにせな 君はその 民の木実なり 治はハコネ 二重恵みぞ
 かに愛でる 
君は明も為し ふたも為し 〈ホ24ー8〉

 そしてこれはまた “和して恵る日月” の換言であるわけです。

 天が下 和して恵る 日月こそ 晴れて明るき 民の父母なり 〈ホ7-4〉


■裳裾を汲め (もすそおくめ)
陽陰を束ねて日月為す君の心の 「端を汲み取れ」 という意味です。 ▶汲む


■君民の教え (きみたみのをしゑ)
「君と民への教え」 です。
君に対しては “陽陰を束ねて日月を為すことが君の役目ぞ” と教え、
民に対しては “その役目を担う君の心を少しでも汲み取れよ“ と教えます。

 

【概意】
世に遺す歌
『いつも着る差使八手の我が冠と衣裳。
 その冠の緒と衣裳の裾を民に届け、
 “君は陽陰を束ねて日月を為す、その心の端を民は汲み取れ” と
 君と民への教えを遺して天に還る。

 

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 とてないためそ わかみたま ひとはあのもの
 うえにある われはかんむり ひとくさは みみちかきをそ

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 とて な傷めそ 我が神霊 人は上の者
 上にある 我は冠 人草は 耳近き緒ぞ

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■とて
ここでは “さりとて” と同じで、「とはいっても・だとしても」 の意です。


■な傷めそ (ないためそ)
ナ+動詞の連用形+ソ の形は、ゆるやかな禁止を表現します。
ここでは 「傷つけるなよ・軽んじるなよ・卑下するなよ」 などの意です。


■我が神霊 (わがみたま)
ここでは “アマテルの神霊” ではなく、「自分の神霊・各人の神霊」 です。
ミタマ(神霊)は 人体に宿る 「霊・魂魄・主体・本質」 をいいます。


■上の者 (あのもの)
「上位にある者・高貴な存在」 という意で、カンツミ(上つ身)ともいいます。
すべての人間はアメミヲヤの分霊であり、「万物の霊長」 だということです。


■上にある我 (うえにあるわれ)
この “我” は 「アマテル」 を指します。
“上にある” とは、アマテルの神霊(魂と魄)は 日と月の本体霊 ですから、
アメミヲヤの分霊の中でも とりわけ上位/上流にあるということです。
その他の人間の神霊は 日月の本体霊の分霊です。


人草 (ひとくさ)
アマテルは 「臣は我が子、民は我が孫ぞ」 といいます。

 民は皆 なお我が孫ぞ その民を 守り治むる 国守は これなお我が子 〈ホ23-5〉
 

■耳近き緒 (みみちかきを)
アマテルの神霊が 「冠の本体」 だとすれば、そのほかの神霊は 「冠の緒」 にあたるけれども、
その中でも アマテルの教えを聞いた臣民の神霊は、「緒の耳に近い部分・緒の上の部分」 である、
という意味です。

 

【概意】
 かといって自分の神霊を卑下するなよ。
 アメミヲヤの分霊である “人” の全ては高貴な存在、万物の霊長なり。
 その上流にある我を “冠” に喩えば、我が人草はその冠の “耳近くの緒” ぞ。

 

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 むねきよく みはあかつけと さしかみて あめにつくれは
 さをしかの やつのきこえに あらはれて いのれもかもと
 みもすその たみおなてつつ さをしかの きよきにかみは
 ありとこたえき

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 胸清く 身は垢付けど 差使が見て 天に告ぐれば
 差使の 八つの聞こえに 洗われて いのれもがもと
 裳裾の 民を撫でつつ 差使の 清きに尊は
 ありとこたえき』

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■胸清し (むねきよし)
ムネ(胸・宗・旨・棟)は 「中心・核心・頂」 が原義で、ここでは 「心・中子」 を意味しますが、
特にこの場合は、人の中子の最奥に潜む 「純粋な神の心・精神・神性」 をいいます。
ですから 「奥なる神の心は常に純粋で穢れることがない」 という意です。 ▶中子/心の2重構造


■身は垢付けど (みはあかつけど)
この “身” は 「人間の肉体と心の統合システム」 をいいますが、 ▶身
この場合は特に、上記の “胸” に対して、中子/心の2重構造の 「人の心」 の方をいいます。
ですから 「人の身心は穢れる(=曲る・逸れる)けれど」 という意です。 ▶垢


■差使 (さし)
“差使八手・差使八つ”  “天元の差使” の略で、“元守” の換言です。
元守は 根の六臓 に宿るため、根の六臓そのものを 差使、元守 という場合もあります。


■差使の八つの聞こえ (さをしかのやつのきこえ)
これは 「根の六臓の悲鳴」 をいいます。

 差使八手(=天元の差使元守)は人体の六臓に宿りますが、六臓はミヤビを介して
 心と同期しているため、六臓と “人の心” のどちらか一方に曲り(異常)があれば、
 他方にも曲り(異常)が転移します。ここでは “人の心” の曲りが六臓に転移して、
 「機能不全に陥った六臓が上げている悲鳴(警報)」 を “差使の八つの聞こえ” と
 呼んでいます。それは具体的には 「体調不良・病」 となって現れます。


■洗わる (あらはる)
アラフ(洗ふ)の受動形で、「改まる・戻る・まっさらになる」 などが原義です。
“差使の八つの聞こえ” は 「体調の異常」 となって現れるため、その異常に気づいて、
その原因である “心の曲り” を 「改める」 ことをいいます。
 1.差使の八つの聞こえ(体調の異常)により心の曲りに気づく。
 2.六臓(身体)を健全化する。
 3.身体の健全化に連動して 中子(心)の曲りが改まる。
これが “差使の八つの聞こえに洗わる” の意味です。17アヤにおいては次のように表現されています。

 曇り錆び 奪わる中子 磨かんと ヤタのカガミに 向かわせて 磨く器は 元の守 〈ホ17-9〉


■いのれもがも
身心の曲りが 「直ってくれたらいいな」 という意です。

 イノレは イノルの名詞形です。イノルは イヌ(▽結ぬ)+ノル(▽和る) の短縮で、
 この場合は 「交わり合う・中和する・曲り/偏りが直る」 などの意です。
 モガモは 「(心に)掛けるさま・希望するさま」 を表します。 ▶もがも

 
■裳裾 (みもすそ・もすそ)
「裳の末端」 をいいます。モスソ(裳裾)と同じです。
これは 「アマテルの冠の緒や裳裾である 子や孫 (臣や民)」 のなぞらえです。


■差使の清き (さをしかのきよき)
この場合 “差使” は、差使八手(=天元の差使元守)が宿る 「根の六臓」 をいいます。
根の六臓は魄(=体)の根本です。よって「体の健康」 の意となります。 ▶清し


■尊はあり (かみはあり)
カミ(上・▽尊)は 「上にあるさま・高いさま・尊いさま」 を表し、
この場合は 「尊さはある」 という意となります。
ですから “差使の清きに尊はあり” は、「体の健康に人の尊さはあり」 という意です。

 人の本質は中子/心ですから、本来は 「心の健康に人の尊さはあり」 と言うべきところですが、
 心の健康は本人にも他人からも見えにくいため、心の状態に連動する身体(六臓)の健康を以て、
 人の尊さのバロメータにしろよ、ということです。
 ミカサの『アワ歌の文』には、「心の驕りを改め、六臓(=六宗)を健全に保って天に還れば、
 また新たに人として生まれ変わる」 と記されます。

 天の原 六宗は清く モトロソヨ 驕り明かして 還えば新に 違え生まるる 〈ミ10-5〉


■こたえき (応えき)
コタフ(応ふ)キ(断定) で、この場合は 「伝えるに然り・伝えるものぞ」 などの意となります。 

 

【概意】
 人の奥なる心は純粋で穢れなきものであり、
 身は穢れても、差使がそれを見て天元神に告げれば、
 差使の八つの聞こえ(=体調の異常)に改められて、直ってくれたらなと、
 我が裳裾の民を撫でつつ、“体の健康に人の尊さはあり” と伝えるものなり。』


 「六根清浄大祓」 という祓詞がありまして、文面は大きく異なりますし、
 外国の宗教思想に影響を受けている部分もあるように感じますが、
 この祓詞の元ネタは、アマテルのこの 「世に遺す歌」 だろうと考えます。



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 かえしのとうた
 ひとつねに かみにむかはは よのみみの
 あかはあもとの さをしかに きよめたまひて
 さこくしの ふゆのかかみに いるとおもゑは

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 還し宣歌
 『人 常に 神に向はば 世の身々の
 垢は天元の 差使に 清め賜ひて
 サコクシの 振ゆの明暗見に 入ると想えば』

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■還し宣歌 (かえしのとうた)
カエシ(還し)は ここでは 「人の心を純粋な状態 (神の状態) にもどすこと」 をいいます。
ノトウタ(宣歌)は 「鳴り響かす歌・唱える歌」 です。 ▶宣(のと)


■神 (かみ)
このカミ(上・神)は、“胸” の換言で、自分の中の 「純粋な神霊・神性」 をいいます。
つまり 中子/心の2重構造の 「神の心」 の方です。 ▶胸


天元の差使 (あもとのさをしか)

サコクシ (▽冠釧・▽賢釧)

■振ゆの明暗見 (ふゆのかがみ)
「輪になったアワ(陽陰)の神の集い」 という意味で、サコクシロ/サコクシ の換言です。

 “振ゆ”は “振る” の変態で、「往き来する・回る・輪になる」 などが原義です。
 “明暗見” は 「陽陰の合わせ」 が原義で、この場合は 「アワ(陽陰)の神の集うさま」 をいいます。

 

【概意】
人を神に還す宣歌
『人が日常 自分の神性と対面しようと思うなら、
 各々のこの世での穢れは 天元の差使(=差使八手・元守)に清めてもらって、
 サコクシロの、輪になったアワの神の間に入ることを想像すればよい。』


 これは『地上世界で肉体に宿っている すべての人の神霊は、
 地上で付着する汚れを落とせば、元明の48神と肩を並べるほどに尊いのだ。
 そのことを想う時、汝は神にもどっているのであるぞ』ということを言っています。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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