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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第90回 [2023.12.10]

第十七巻 神鏡ヤタの名の文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 かんかがみやたのなのあや (その3)
 神鏡ヤタの名の文 https://gejirin.com/hotuma17.html
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 われみるに をさまるみよは なのきこゑ ひとのこころは
 およそこし あらはにつとめ うらやすむ
 なかにひとりは うらなくて あめしるききの はなもみも
 わかみのみちと しらさらめ おかしかくすも あめかしる

―――――――――――――――――――――――――――――
 我見るに 治まる世は 名の聞こえ 人の心派
 およそ濃し あらわに努め 裏 安む
 中に一人は 心無くて 陽陰領る木々の 花も実も
 我が身の道と 知らざらめ 犯し隠すも 陽陰が知る

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世 (みよ)

■名の聞こえ (なのきこゑ)
これは 「名声・評判」 などの意と思います。


心派 (こころば)
「中心からの枝分かれ」 というのが原義です。
ここでは 「心から湧き出るもの」 という意で、「思い・気持ち・人情」 などをいいます。


濃し (こし)
コユ(肥ゆ越ゆ・超ゆ)+シ(=如し) の短縮で、
「勝るさま・レベルの高いさま」 を表す形容詞です。


■あらわに努む (あらはにつとむ)
アラハ(顕・露)は ここでは 「表」 を意味し、 ▶つとむ
「公然と包み隠さず振る舞う・公明正大に行う」 という意です。
ですからこれは “皆見に事をわきまふ” と同じことを言ってます。

 皆見/南に事を わきまえて 落ち着くは西 帰る北 〈ホ1-3〉


■裏安む・心安む (うらやすむ)
この ウラ(裏)は 「心」 を意味します。“あらわに努む” (公然と振る舞う) ため、
隠し事がなく、それゆえに 「心は平穏/平安である」 という意味です。


心無し (うらなし)
この場合は ココロナシ(心無し)と同義で、
「考えがない・思慮/分別がない・愚かしい・情けない」 などの意です。


■陽陰領る木々の花も実も (あめしるきぎのはなもみも)
「木々の花や実にいたるまで すべて陽陰が支配している」 という意です。
これは15アヤの記と同じことを言ってます。

 埴受くる 空・雨水 生る草木 空は助く 水 冷やす
 埴は穢れ摩る 
花も実も 陽陰の随なり 〈ホ15-2〉


■知らざらめ (しらざらめ)
’ は推量の助動詞ン/ムの已然形で、ここでは 後に続く “や” “やも” “かも” などが
省かれています。ですから 「知らないのだろうか」 という意です。


■犯す・侵す・冒す (おかす)
ヨコス(讒す)ヨゴス(汚す) の変態で、「曲げる・けがす・おかしくする」 などが原義です。

 
■陽陰 (あめ・あま)
木々の花や実にいたるまで支配する 「陽陰のシステム」 をいいます。
このシステムの頂点にあるのが アメノミヲヤ(陽陰の上祖) です。

 陽陰 日月 魂魄 =  中子 で、
 これらの祖が アメノミヲヤです。

 

【概意】
我の見るところ、治まる社会においては 人の評判がよく耳に入り、
人の情もおよそ濃い。また公然と振る舞い、それゆえに心は平安である。
そんな中にも稀には思慮分別のない者がいて、木々の花や実にいたるまで
支配する陽陰の法が、我が身にも当てはまることを知らないのだろうか、
法を犯して隠すも 陽陰はお見通しなのである。

 

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 うつほはあまの こころはの つねにめくれと みゑなくて
 みつのめくりお みることく うつほはみゆる

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 空は陽陰の 心派の 常に巡れど 見えなくて
 水の巡りを 見る如く 空は見ゆる

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空 (うつほ)
この場合は 「人間が住む地上の空間」 をいいます。


■陽陰の心派 (あまのこころば)
“陽陰の心” は 木々の花や実にいたるまで支配する 「陽陰のシステムの核」 という意で、
アメノミヲヤ
を指します。心派(こころば)は この場合は、アメノミヲヤが張り巡らす
「偵察衛星・情報網」 みたいなものをいいます。ですから 「アメノミヲヤの情報網」 という意です。

 この情報網は具体的には、アヤ後半に出てくる 「風神と埴神」 をいいます。
 前段で “犯し隠すも陽陰が知る” と言ってましたが、それは 風神と埴神が
 探知してアメノミヲヤに告げるからです。


■水の巡りを見る如く (みづのめぐりおみるごとく)
これは先頭に 「水中の魚が」 と補ってください。


■空は見ゆる (うつほはみゆる)
これも先頭に 「地上の人には」 を補ってください。すると、
「水中の魚が水の流れを見るみたいに、地上の人間には空が見える」 という意になります。
これはつまり 「何も見えない」 ということです。
「魚は水の存在を意識せず、人も空気の存在を意識しない」 ということを言ってます。

 

【概意】
地上にはアメノミヲヤの情報網が張りめぐらされて、
常に活動しているのだが、人の目には見えない。
水中の魚が水の流れを見る如くに、人には空が見えるからである。



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 うおのめと かわるひとめの うらかかみ ひたりにもては
 みきにみゑ ひたりえやれは みきにゆく むかふえやれは
 まえによる みなひるかえる このかかみ なんのためそや

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 魚の目と 代わる人目の 裏鏡 左に持てば
 右に見え 左へやれば 右に行く 向ふへやれば
 前に寄る みな翻る この鏡 何のためぞや

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■魚の目と代わる人目の裏鏡 (うおのめとかわるひとめのうらかがみ)
魚の目には水の流れが見えないが、人の目には水の流れが見える。
この魚の目と人の目を、マス鏡 の 「表鏡と裏鏡」 の関係になぞらえます。

 マス鏡は “合せ鏡” のことで、「表裏2枚の鏡を使って見えない所を映すこと」 をいいます。
 この場合は魚の目が表鏡で、人の目が裏鏡です。裏鏡は見えない部分を
 見るための鏡ですから、“心鏡” (うらかがみ:心を映す鏡) の意味があります。


■何のためぞや (なんのためぞや)
この問いに対するアマテルの答えはすぐには明かされず、この後ゆっくり少しずつ
展開されていきます。表裏の鏡の相互関係は 「体と心・人と神」 の関係にまで発展します。

 

【概意】
魚の目と、それに代わる人の目の裏鏡。
左に持てば右に見え、左へやれば右に行く。むこうへやれば前に寄る。
みんなひっくり返るこの鏡、何のためぞや。

 

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 まさにきけ もともとあけの みをやかみ
 そはのとほかみ ゑひための やもとのかみに まもらしむ
 ひとのねこえは あなみかみ みそふのかみの みめかたち

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 まさに聞け 元元明の ミヲヤ神
 そばのトホカミ ヱヒタメの 八元の神に 守らしむ
 人の根隅は 天並神 三十二の神の 見目形

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まさに
この場合は  タダニ(直に)、シカト(確と・▽如と) などと同義で、
「まっすぐそのままに・偏見を加えずに・色を付けずに」 というような意です。

 ★まさ (正・当・真・応・方・将)
 マサは マス(増す・坐す)の名詞形で、マスは 「合う/合わす」 が原義です。
 よってマサは 「合うさま・合わせ・当たり・和・統・足し」 などが原義となります。


■元元明 (もともとあけ)
元明(もとあけ)の元」 という意で、創造神アメノミヲヤの別名です。 ▶フトマニ図

 四十九の端(よそこのはな)四十九の種(よそこのたね) などとも呼ばれます。


■そば (側・傍)
ソフ(添ふ・沿ふ・副ふ) の名詞形です。


■八元の神 (やもとのかみ)・八元神 (やもとかみ)
「元明(もとあけ)の元座の8神」 という意で、 ▶元・中・末の三座
中神座のすぐ外側の輪に座す の8神をいいます。
アモトカミ(天元神)、また モトモト(元々) とも呼ばれます。


■守らしむ (まもらしむ)
「アメノミヲヤが八元の神をして人の永らえを世話させる」 という意味です。
八元の神は地上の人間の 「生命そのもの・寿命」 を司ります。 ▶守る ▶しむ

・ミヲヤのそばに 八元神 守る トホカミ ヱヒタメの 兄弟の寿 〈ミ6-6〉
・そばにトホカミ ヱヒタメの 八神は人の 霊の緒を ふくみ振らせて
 永らえを 結び和せば 〈フ序〉


根隅 (ねこゑ)

天並神 (あなみかみ)
「天の中位の神」 という意味です。
中神座から2番めの輪に座す の8神をいいます。
アナレカミ(天均神)とも呼ばれます。

・天均神 根隅 授けて 〈ミ6-6〉
・アイフヘモヲスシの神は キツヲサネ 五臓六腑を 調えり 〈フ序〉


三十二の神 (みそふのかみ)
天並神の外側の2重の輪に座す32神をいい、“タミメヒコ” とも呼ばれます。


見目形 (みめかたち)
“見目” は 「顔立ち」、“形” は 「体型」 をいいます。

・三十二神 見目形 成す 〈ミ6-6〉
・三十二の神は 見目形 〈フ序〉

 

【概意】
まっすぐそのままに聞け。元々明のアメミヲヤ神は、
そばのトホカミヱヒタメの 八元の神に人の命を守らしむ。
人の内蔵と外殻は天並神、三十二の神には見目形を守らしむ。

 

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 そむよろやちの ものおして ひとのたましゐ よろこはす
 ときにもとむる うまれつき そむよろやちに しなかわる
 あおひとくさの ことことく あめのみをやの たまものと
 まもらぬはなし

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 十六万八千の モノをして 人の魂・魄 喜ばす
 時に求むる 生れ付き 十六万八千に 品変る
 青人草の 悉く アメノミヲヤの 賜物と
 守らぬは無し

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十六万八千のモノ (そむよろやちのもの)

魂・魄 (たましゐ)

■喜ばす・悦ばす (よろこばす)
ヨロコブ(喜ぶ・慶ぶ・悦ぶ)+ス(使役) で、
この場合は 「肥やす・富ます・にぎわす」 などの意を表します。

 ★喜ぶ・慶ぶ・悦ぶ (よろこぶ)
 ヨル(選る)こふ(肥ふ) の同義語連結で、ヨルは ウル(熟る)の変態。
 両語とも 「上がる・高まる・勢いづく・熟れる・肥える」 などが原義です。


■求むる (もとむる)
モトム(求む・▽纏む)の連体形です。
このモトムは マトフ(纏う)・マトム(纏む)・ムツム(睦む) などの変態です。


■品・科 (しな)
シナブ(匿ぶ)の母動詞 “シヌ” の名詞形で、「囲い・包み・まとまり」 などを原義とし、
「隔て・区分・種類・分類」 などの意を表します。


■青人草・青人種 (あおひとくさ)
「青い(未熟な)人のタネ・いずれは人へと育つ素材」 という意で、「民」 の別名です。

 ホツマ・ミカサでは、君と臣は一人前の 「人」 とみなしていますが、
 民は 「未熟な人種・半人前」 とみなして、アオヒトクサ(青人種)と呼びます。


■賜物 (たまもの)
タマ(賜)は タムの名詞形で、タムは タル(垂る)の変態です。
よって 「下るもの・下すもの」 が原義で、この場合は 「末・末裔・子孫」 を意味します。

 

【概意】
16万8千の小霊を添えて人の魂魄を賑わす時、備わる生れ付きは16万8千に品が変るが、
青人草のすべてはアメノミヲヤの末裔なれば、元明の神の守らぬ人は1人とてない。

 

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 ふたかみの とほこにをさむ としふれは にふなれときの
 たみあるも たとえはかすの うつわもの くつおすてなて
 にふときお ならしもちゐん あめのこころぞ

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 二尊の 経矛に治む 年経れば 鈍・均・鋭の
 民あるも 喩えば数の 器物 屑を捨てなで
 鈍・鋭を 均し用いん 和の心ぞ

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二尊 (ふたかみ)

■経矛に治む (とほこにをさむ)
経矛の道に治める」 という意で、「経(=法)を教え、それに逆らうものはほころばす」
という統治原則です。


■鈍・均・鋭 (にぶ・なれ・とき)
「鈍い者・ほどよい者・鋭い者」 をいいます。
この内 “均” は合格ですが、“鈍” と “鋭” は不合格です。
上にも下にも振れない 「中庸の者・調和する者」 を以って最上とします。


器物 (うつわもの)


■和の心 (あめのこころ)
このアメは アム(編む)の名詞形で、「合わせ・和・和合」 が原義です。
ここでは 「やわし・中和・調和・直し」 などの意で、ナラシ(均し)と同義です。
ですから 「偏った状態 (鈍・鋭) を均してほどよく調えようとする思い」 をいいます。

 

【概意】
二尊が経矛の道に国を治め、年月を経れば 民にも 鈍・均・鋭 と、
資質や能力の差が見えてくるが、たとえば多くの器物のように、
出来が悪くとも捨てることはせず、鈍・鋭の民をほどよく均して用いようとする
和(やわし)の心ぞ。


  《ここまでの記述との関連がわかりにくいため少し補います》
 すべての民はアメノミヲヤの末裔であり、元明の神が守る存在と知ればこそ
 二尊は民の親となり、出来の悪い子でも切り捨てず、“やわしの心” を以って、
 しんぼう強く教え、均し培ったのである。

 

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 われみるに よしわろめてつ たのしみて
 ひとのなかこも ひとふたり ややしるみちは ますかかみ
 あめのむくひは ぬすめるも そしるもうつも みにかえる

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 我見るに 善し悪ろ愛でつ 楽しみて
 人の中子も 人ふたり やや知る道は マス鏡
 陽陰の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 身に返る

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■善し悪ろ (よしわろ)
ヨシ(善し)は “鈍・均・鋭” の ナレ(均)、ワロ(悪ろ)は ニブ(鈍)トキ(鋭) に当たります。

 ここは原文通りの語順だと意味が取りにくいので、
 善し悪ろ愛でつ 楽しみて 我見るに と語順を変えて読んでみてください。


中子 (なかご)
心(こころ) と同じです。


■人ふたり (ひとふたり)
人の中子(=心)には 「2人の人が居る・2つの顔がある」 という意です。
“ふたり” とは 「人の心と神の心」 あるいは 「人情と神性」 をいい、
これは 中子(=心)の2重構造 を表します。

 神の心/神性を “心・中子・霊・魂魄” と呼ぶ時は、
 人の心/人情は “心派” と呼んで 区別する場合があります。


やや

マス鏡 (ますかがみ)
マス鏡とは “合せ鏡” のことをいいますが、それに使う2枚の鏡の内、
表鏡は 「見える所 → 表側 → 身体」 を映す鏡、
裏鏡は 「見えない所 → 裏側 →心」 を映す鏡、になぞらえていると考えてください。
心を映す裏鏡の別名が “マフツの鏡” です。

 合せ鏡は 「裏鏡の像を表鏡に写すこと」 ことをいうわけですから、
 上のなぞらえに則れば 「心のさまが身体に映る」 ことになります。
 つまり 「心が曇ると身体にもそれが映って病気になる」 ということで、
 これは一種の自浄システム・免疫システムとして働きます。
 このシステムを アマテルは “マス鏡” と呼びます。
 アヤの後半ではこのシステムの論理的なメカニズムが説明されます。


■陽陰の報ひ (あめのむくひ)
これはつい 「天の報い」 の意と思ってしまいますが、
このアメ(陽陰)は 「心・中子」 を意味します。ですから 「心の報い」 という意です。
この場合は狭義の心/中子 で、「神の心・神性」 をいいます。

 アメ(陽陰) 日月 魂魄 中子 です。
 そしてこれらの祖が アメノミヲヤ(陽陰の上祖) です。


■身に返る (みにかえる)
ミ(身)は ここでは 「身体・肉体」 をいいます。
ですから 「心の報いは身体に返る」 という意となります。
これはマス鏡の、「心のさまが身体に映る」 と同じことを言ってます。

 

【概意】
善きも悪しきも愛でつつ、楽しみながら我見るに、
人の中子にも2つの顔がある。それをどうにか理解する道が “マス鏡”。
盗んでも人を謗っても打っても、心の報いは体に返る。

 

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 ひとおうてとも そのときは いたきむくひも あらされと
 のちのやまふは あまかつち

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 人を打てども その時は 痛き報ひも あらざれど
 後の病ふは 陽陰が槌

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■陽陰が槌 (あまがつち)
アメ(陽陰)は やはり 「心・中子・神性」 を意味します。
ツチ(槌)は 「打ち叩く道具」 をいいますが、ここでは 「罰・制裁」 の換言です。
ですから 「中子の鉄槌(てっつい)・心の制裁・神のおしおき」 などの意です。

 

【概意】
人を打っても、その時は痛い報復もないかもしれないが、
後になって病んだりするのは 心の制裁ぞ。

 

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 ぬすみもひとか しらされは たからうるとそ おもえとも
 ひとたひかくし ふたぬすみ みたひそこなひ あらためす
 あめつちひとの みるところ あめのみつけは ひとにつく

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 盗みも人が 知らざれば 財得るとぞ 思えども
 一度 隠し 二 盗み 三度 損なひ 改めず
 天地人の 見る所 陽陰の見付けは 人に告ぐ

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財 (たから)

■隠す・匿す (かくす)
カク(▽画く)+クス の同義語短縮で、カクは カギル(限る)の母動詞、クスは コス(濾す)の変態。
人の目から 「離す・逸らす・遠ざける・限る」 などが原義で、この場合は
ウバフ(奪う)
、ヌスム(盗む) などと同義です。


盗む (ぬすむ)
ヌス+スム の同義語短縮で、ヌスは ノゾク(除く)の母動詞  “ノス” の変態、
スムは スル(掏る)の変態です。ですからこれも 「離す・逸らす・外す」 などが原義で、
ウバフ(奪う)
、カクス(隠す) などと同義です。


損なふ・害ふ (そこなふ)
「身体の健康を損なう」 という意です。
これは 「心の制裁」 をすでに受けていることを意味します。

 ★損なふ・害ふ (そこなふ)
 ソク(退く殺ぐ)+ナフ/ナユ(萎ふ/萎ゆ) の名詞形で、
 両語とも 「離れる・逸れる・外れる・曲る・不調/異常となる」、
 またその結果 「落ちる・劣る・衰える」 などが原義です。


■天地人 (あめつちひと)
アメ(天)は 「天(陽)の神」 の意で、具体的には後出の 「風神」 をいいます。
ツチ(地)は 「地(陰)の神」 の意で、具体的には後出の 「埴神」 をいいます。
ヒト(人)は この場合は 「犯人の狭義の中子(=神性)」 をいいます。


■陽陰の見付け (あめのみつけ)
このアメ(陽陰)は ふたたび アメノミヲヤ(▽陽陰の上祖) です。
ミツケ(見付け)は メツケ(目付け)の変態で、「監視・見張り」 をいいます。

 “陽陰の見付け” は 上記の 「風神」、「埴神」、「犯人の狭義の中子(=神性)」 の総称で、
 その内、風神と埴神は 先出の “陽陰の心派” と同じです。

 空は陽陰の 心派の 常に巡れど 見えなくて 〈ホ17-3〉


■人に告ぐ (ひとにつぐ)
この場合は 「犯人の関係者に告げる」 ということです。

 

【概意】
盗みも人に知られなければ、財を得たぞと思うだろうが、
1度盗んでバレなくて、再び盗み、3度目には身体を損ないながらも、なお改めぬ。
これが風神と埴神と本人の神の見る所となれば、陽陰の目付けは人に告げる。

 

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 つみあらはれて ほろふとき なすことなくて かなしきは
 よそはよろこふ しむのはち くやめとかえぬ

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 罪 露れて 滅ぶ時 なすこと無くて 悲しきは
 よそは喜ぶ シムの恥 悔めど返ぬ

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■なすこと無くて (なすことなくて)
「どうしようもなく・しかたなく」 などの意です。


■悲しき (かなしき)
カナシ(悲し)の連体形が名詞化したものです。


■シムの恥 (しむのはぢ)
シム(▽親)は ここでは 「親しい者・親族・近親・身内」 などの意です。
ですから 「身内の恥・身内のスキャンダル」 などの意です。


悔やむ (くやむ)

 

【概意】
<その結果> 罪が露顕して落ちぶれる時、
どうしようもなく悲しいのは、他人は喜ぶ身内の恥。
悔んでも取り返しはつかない。


 今回の講座で取り上げた部分は、じつはアヤの終盤まで読み進まないと
 何を言ってるのかよくわからない箇所が多いのです。
 ですからこのアヤが終わった段階で、再度戻って読んでいただくと、
 「はは〜ん、あのことを言ってたのか」 と合点がいくのではないかと思います。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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