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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第146回 [2024.4.11]

第二七巻 御祖神 船霊の文 (4)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 みをやかみふなたまのあや (その4)
 御祖神 船霊の文 https://gejirin.com/hotuma27.html
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 みことのり たかはふたかみ はつのみや いまやふるれは
 つくりかえ みつほのみやお うつしゐて つねおかまんと
 いしへして ひかせおおやに つくらせて いとなみなりて
 みやうつし みくらいにつく

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 御言宣 「タガは二尊 果つの宮 今 破るれば
 造り替え ミヅホの宮を 移し居て 常 拝まん」 と
 礎部して 曳かせ 覆屋に 造らせて 営み成りて
 宮移し 御位に着く

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タガ (▽治曲・多賀) ■二尊 (ふたかみ)
全国を巡幸して各地に宮を構えた二尊でしたが、アマテルに譲位した後は
タガの宮に隠居して最期を迎え、イサナキは “タガの神” と贈り名されます。

 ただしタガの宮に移った時には、イサナミはすでに世を去っているため、
 “二尊” と言っても、イサナキ1人だけです。


■果つの宮 (はつのみや)
「結びの宮・しめの宮・おしまいの宮・最後の宮」 という意です。 ▶果つ


破る・敗る (やぶる)

ミヅホの宮 (みづほのみや)
ニニキネが琵琶湖の南岸に建設し、ハラミ山麓のハラアサマ宮からここに都を移しました。
ニニキネとヒコホオデミの時代の国家首都です。


■居し部・礎部 (いしべ)
「居し据え(=埴纏り)に従事するモノノベ」 をいうと考えます。 ▶居し据え ▶埴纏り

 イシ(居し)は イス(▽結す)の名詞形で、イス(椅子)の変態。何かを 「受ける土台」 を意味し、
 この場合は宮の 「敷地」 です。ベ(侍・部)はモノノベの略です。 ▶モノノベ


■曳く (ひく)
ハヒキ(地曳)することをいいます。 ▶地曳


■覆屋 (おおや)
「屋を覆う者・屋を葺く者」 の意で、「建築業者・大工」 をいうと考えます。
オオは オフ(覆ふ負ふ帯ぶ)の名詞形で、オフは フク(葺く)と同義です。


■営み (いとなみ)
「回転・繰り返し・運転」 などが原義で、「通常の過程・ルーチン」 などを意味します。


■御位 (みくらい)
「御上の地位・皇位」 です。 ▶御 ▶位

 

【概意】
<カモヒト君の> 御言宣。
「タガは二尊の最後の宮。今 破損すれば造り替え、
ミヅホの宮を移し居て、二尊の神霊を常に拝まん」 と、
礎部をして地曳させ、大工に建造させ、営み成りて宮移し、御位に着く。

 

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 そのよそい あやにしききて たまかさり
 かむりはひくつ はらののり はなおつくして
 そのあすは おおんたからに おかましむかな

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 その装い 綾・錦 着て
 珠飾り 冠・佩・沓 ハラの法 華を尽して
 その明日は 大御宝に 拝ましむかな

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■綾・錦 (あやにしき)
「綾織と錦織の衣裳」 という意です。 ▶綾織 ▶錦織


■珠飾り (たまかざり)
「宝石の装飾品」 です。


佩・珮 (はひ)
ハフ(▽侍ぶ)の名詞形で、「付けるもの」 を原義とし、
特に 「腰から下に帯びる装飾品」 をいうようです。


沓・履 (くつ)
“靴” と同じです。「履き物」 をいいます。


ハラの法 (はらののり)
この場合は 「ニニキネがニハリで行った大嘗会に則った作法」 をいいます。


 【ニニキネの大嘗会】
 ユキ・スキの 宮に祈りの 大嘗会 三種の受けを 天に応え 宮に納むる
 その飾り 香・八幡あり その明す日 大御宝に 拝ましむ 〈ホ24ー4〉

 【ヒコホオデミの大嘗会】
 ユキ・スキの 大御祭の 大嘗会 三種の受けを 天に応え
 青人草を 安らかに 保つ八幡の 花飾り 明日万民に 拝ましむ  〈ホ26ー2〉


大御宝 (おおんたから・ををんたから)
「最も尊く重要なもの」 という意で、「民」 の別名です。

 

【概意】
その装いは 綾錦を着て、珠飾り・冠・佩・沓と、ハラの法。
華を尽くして、その明日には大御宝に拝ましむかな。

 

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 きあとなつ みくらいなりて いせにつく
 あまてるかみの みことのり とかくしおして
 わかみまこ たかのふるみや つくりかえ みやこうつせは
 あにつきて わのふたかみそ

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 キアト夏 御位成りて イセに告ぐ
 アマテル神の 御言宣 トガクシをして
 「我が御孫 タガの古宮 造り替え 都 移せば
 上に継ぎて 地の “二尊” ぞ」

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■キアト夏 (きあとなつ)  ▶干支
この年は 「42鈴851枝2穂」 にあたります。
ヒコホオデミが世を去った 42鈴850枝60穂ネウト の翌々年です。
陰暦における “夏” は  「4月・5月・6月」 です。

・26鈴16枝41穂 テルヒコ大和国へ。 ・26鈴17枝23穂 ニニキネがニハリ宮を建てる。
・29鈴501枝38穂 ニニキネ三種を受け八州巡幸に出発。 ・ちょうど30鈴頃 地上ほつま出現。
・31鈴333枝頃 オシホミミ帰天。 ・32鈴900枝23穂 ミヅホ宮に遷都。
・36鈴34枝38穂 ヒコホオデミ即位。 ・42鈴850枝60穂 ヒコホオデミ帰天。


■トガクシ (戸隠・▽咎薬)
イサワの宮でアマテルに仕える臣で、信州戸隠を領しているようです。
出自・素性については記がありません。

 戸隠神社 (とがくしじんじゃ)
 長野県長野市戸隠3690。 
 現在の祭神:【九頭龍社】九頭龍大神 【奥社】天手力雄命
       【宝光社】天表春命 【中社】天八意思兼命


御孫 (みまご)
この場合はもちろん ウガヤフキアワセズ(斎名カモヒト) を指します。


上に継ぐ (あにつぐ・あめにつぐ)
このア(▽上・天)は 「上」 が原義で、「上流にあるもの・親・先代・先祖」 などを表します。
ここでは 「先代の二尊」 をいいます。よって 「我が親の二尊に継ぐ」 という意です。 ▶二尊

 
■地の二尊 (わのふたかみ)
フタカミ(二尊)の フタ(二・双・蓋)は フツ(▽付つ)の名詞形で、
「和合・調和・対・ペア」 などを原義とし、この場合は 「日と月」 のペアをいいます。
ですから “地の二尊” は 「世の日月・地の日月」 の換言です。 ▶世の日月 ▶地の日月

・春の初日に 世の日月 御子オシヒトに 譲りまし 〈ホ19b-1〉
・三十一万年 治むれば 齢も老いて 
地の日月 今 ウツキネに 譲らんと 〈ホ26-1〉

したがって “二尊” は 「夫婦の君」 には限らず、またすべての皇位者は 「地の二尊」 で
あるわけですが、先代の二尊の最後の宮だったタガに都を移したカモヒトに対しては、
特別に “二尊(ふたかみ)” の呼称を授与したということだと思います。

 

【概意】
キアト夏、御即位が成って妹背の神に告ぐ。
アマテル神はトガクシを使者として御言宣。
「我が御孫はタガの古宮を造り替えて都を移せば、
先代の二尊に継いで 地の “二尊” ぞ。」

 

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 われむかし あめのみちゑる かくのふみ
 みをやもあみお さつくなも みをやあまきみ

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 「我 昔 陽陰の道得る 香の文
 御祖百編を 授く 名も “御祖天君”」

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陽陰の道 (あめのみち)

■香の文 (かぐのふみ)
カグ(香)は この場合は 「立ち上がり・始まり・起き」 などを意味します。  ▶香(かぐ)
ですから “香の文” は 「起源の文・創世記」 をいいますが、万物万象は 陽陰の分離
起源としますから、「陽陰の起源の文」 という意味です。 ▶文(ふみ)

 若きアマテルが トヨケのもとで道を学ぶためにヒタカミに着いた時、
 イサナキ&イサナミは 陽陰の起 と 御柱の道 を御子に奉っていますが、
 “香の文” は “陽陰の起” と同一のものではないかと考えてます。

 「貴霊の子は 留めず」 と 上に送りて “陽陰の起” と “御柱の道” 奉る 〈ホ3ー3〉


■御祖百編 (みをやもあみ)
「御祖の百編・先祖が編んだ百の教え」 という意で、
“香の文” のタイトル、あるいはサブタイトルと考えます。
百(もも)のヲシテ、百(もも)の文 とも呼ばれます。 ▶御祖


■御祖天君 (みをやあまきみ)
アマテルが ウガヤフキアワセズ (斎名カモヒト) に賜った “天君” の称号です。 ▶天君
ニニキネに賜った “ワケイカツチの天君”、ヒコホオデミに賜った “御祖に継がふ天君” に
次ぐ3人目の、そして最後の天君です。“御祖” の意味は すぐあとに説明されます。

 

【概意】
「我が昔 陽陰の道を得た 香の文の “御祖百編”。
これと共に “御祖天君” の名を授ける。」

 

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 このこころ よろのまつりお きくときは かみもくたりて
 うやまえは かみのみをやそ このみちに くにをさむれは
 ももつかさ そのみちしとふ このことく これもみをやそ
 このこすえ たみおめくみて わかこそと なつれはかえる
 ひとくさの みをやのこころ

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 「この心 万の纏りを 聞く時は 神も下りて
 敬えば 神の御祖ぞ この道に 国治むれば
 百司 その道慕ふ 子の如く これも御祖ぞ
 この後末 民を恵みて “我が子ぞ” と 撫づれば還る
 人草の 御祖の心」

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心 (こころ)

■万の纏り (よろのまつり) ■聞く (きく)
万の機の纏り事(よろのみはたのまつりごと) の略です。


■神の御祖 (かみのみをや)
「神の上流/上位にある者」 という意です。 ▶神 ▶御祖


■この道 (このみち)
「御祖の道」 です。
これは 「親が子を思う如くに 上流の者が下流の者を恵む道」 をいいます。


■百司 (ももつかさ・もものつかさ)
「下級の臣を束ねる司・中上級の臣」 をいいます。
百尊(もみこと)、百臣(ももとみ) などとも呼ばれます。


■慕ふ (しとふ)
シタフ(慕ふ)の変態で、「寄る・近づく・追う・親しむ」 などが原意です。


後末 (こすえ・こすゑ)
「末・下・下流」 の意で、「百司の下流・下級の臣」 をいいます。


■還る (かえる)
「回る・巡る・循環する」 などの意です。


人草 (ひとくさ)

■御祖の心 (みをやのこころ)
「親が子を思う如くに 上流の者が下流の者を恵む心」 をいいます。

 

【概意】
「その心、君が国家の政を執る時は、
神も身を低めて敬うゆえ、神の御祖 (上流にある者) ぞ。
君が この道 (御祖の道:親が子を恵む道) に国を治めるならば、
百司たちは 子が親を慕う如くに、その道を慕って従う。これも御祖ぞ。
さらにこの下の臣たちも、民を恵みて “我が子ぞ” と慈しむなら、
君・臣・民に巡る御祖の心。」


 ★御祖の道 (みをやのみち) ★御祖の心 (みをやの心)
 「上流者の恵みを循環させる道/心」 という意味で、
 「親が子を慈しむ如く、上位者が下位の者を慈しむ道」 をいいます。
 恵みを受けた子(臣)は、またその下の孫(民)を恵むようになるため、
 恵みが世代や身分を超えて永久に循環するという教えです。

 アマテルは言葉を替えつつ、何度も何度も繰り返してこれを説いています。
 いま世界中で称賛される日本の国民性は この教えに育まれたものと、筆者は考えます。

 ・“タ” も “ヲシ” も  乳なきの親よ 鑑みて 助くる民は 子の如く 〈ホ17-2〉
 ・二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに 篤く教えて 人となす 〈ホ17-2〉
 ・臣・民 子・孫 隔てなく 慈く恵まん 思ひなり 〈ホ17-2〉
 ・民は孫 工・商人も 曽孫・玄孫 … … 調の導きに 入らざらんをや 〈ホ17-2〉
 ・鈍・均・鋭の 民あるも … … 屑を捨てなで 鈍・鋭を 均し用いん 和の心ぞ  〈ホ17-3〉
 ・曲松を 引き植え 新木 培えば 直木となるぞ 親心 細々篤き 調の教え 〈ホ17-4〉
 ・モノノベら しかと聞けこれ 我が随に 民を切るなよ 民は皆 なお我が孫ぞ
  その民を 守り治むる 国守は これなお我が子 国守は 民のタラチネ 〈ホ23-5〉

 14アヤに “祖の恵みを還す” というアマテルの言葉がありましたが、ここに言う
 「御祖の道・御祖の心」 は それと同じです。

 我が身は君と なるとても 祖の恵みを 還さん
 付して思えば 子を授く 道は恵みを 還すなり 〈ホ14ー5〉

 

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 すへいれて もものをしての なかにあり
 あやしけけれは あちみえす にしきのあやお をることく
 よこへつうちに たておわけ やみちのとこは あかりなす

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 「統べ入れて 百のヲシテの 中にあり
 文 繁ければ 味 見えず 錦の紋を 織る如く
 ヨコベ・ツウヂに 経を分け 闇道の所は 明かりなす」

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■統べ入る (すべいる)
「すべて入れる・ひとまとめに入れる」 という意ですが、
ここでは、それゆえに 「混然としている・わかりにくい」 ことを表します。


■百のヲシテ (もものをして)
御祖百編」 の換言です。


味 (あぢ)

ツウヂ (通ぢ) ■ヨコベ (横綜)


■闇道・闇路 (やみぢ)
「道が見えないさま・混乱状態」 をいいます。
辞書には 「迷って判断のつかない状態」 という説明があります。


■明かりなす (あかりなす)
「あかるくする・わかりやすくする・明瞭にする」 という意で、アカス(明かす)と同じです。
「あかりを灯す」 という意ではないので注意してください。

 

【概意】
「百のヲシテの中にすべて入っているが、
文が繁密であるため本質が見えにくい。道が見えない所は、
ヨコヘ・ツウヂに経糸を分けて錦の紋を織る如く、文を分けて明瞭にすべし。」

 

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 かすかこもりと あちしらは あまつひつきの さかゑんは
 あめつちくれと きわめなきかな

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 「カスガ・コモリと 味 知らば 和つ日月の 栄えんは
 天地転れど 極め無きかな」

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■カスガ ■コモリ
ウガヤ中央政府の 「羽の臣」 で、カスガ(=コヤネ)が左の臣、コモリが右の臣です。


和つ日月 (あまつひつき)
“和つ日月” が栄えれば、その恵みを受ける “国家” も栄えることになります。


■天地転れど (あめつちくれど)
「天地がひっくり返っても・天地(上下)が逆さになっても」 という意です。
転る(くる)は “クルクル回る” のクルの母動詞で、「回る・返る・還る」 などが原義です。


■極め無し (きわめなし)
「極まることが無い・限り無い・果てしない」 などの意です。

 

【概意】
「左右に侍るカスガ・コモリと共に文の本質を理解したならば、
和つ日月の栄えは たとえ天地がひっくり返ろうとも果てしなきかな。」


 アマテルがオシホミミに三種を授与する時も、同じようなことを言ってます。

  我 二尊の 道を成す 我が子つらつら 道行かば
  
日月の栄え 天・地と まさに際無し 〈ホ11-3〉

 

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 きみうけて しかさるときに みことのり
 ふゆいたるひに ををまつり
 あまかみとよよ すへらかみ ゆきすきのみや
 やまうみと とみことたまは はにすきの なめゑにつけて
 ひとくさの ほきいのるなり

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 君 受けて 使去る時に 御言宣
 「冬至る日に 大祭」
 天神とよよ 皇神 ユキ・スキの宮
 山海と ト尊霊は 埴スキの 嘗会に付けて
 人草の 寿 祈るなり

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使 (しか)
トガクシ を指します。


■冬至る日 (ふゆいたるひ)
「冬が至り極まる日」 という意で、今に言う 「冬至」 です。 ▶冬至
昼が最も短くなる日で、陰暦11月の中頃にやってきます。

 現在の太陽暦では12月22日頃になりますが、これが本来の 「年の始めの日・元日」 です。
 12月25日のクリスマス(ユール:冬至祭)も、もともとはこの日を祝うものでした。

 
■大祭 (ををまつり)・大御祭 (ををんまつり)
大嘗会」 の別名です。


天神 (あまかみ)・天つ神 (あまつかみ)

■よよ皇神 (よよすべらかみ)
ヨヨ(▽弥々) は ここでは 「回転・循環・連なり続くさま」 を意味します。
スベラカミ(皇神)は 「地を統べ治めた皇君の神霊」 を意味します。
ですから 「(天神に) 連なり続いて地を治めた皇の神霊」 という意です。

これは  の11神をいいます。
この11神はトホカミヱヒタメ8神に続いて世に降臨し、八方の国を治めた君です。
帰天後は星となされて、室十一神年宣り神 など非常に多くの別名で呼ばれます。


ユキ・スキの宮 (ゆきすきのみや)

■山海 (やまうみ)
「山海の幸を恵む自然神」 で、ククノチ茅の姫野槌ウケミタマ などの総称と考えます。
新嘗会において埴の社に纏り、田畑神(たはたかみ)とも呼ばれます。 ▶新嘗会 ▶埴の社


■ト尊霊 (とみことたま)
トホカミヱヒタメ8尊の中の トの尊の神霊=トの神 です。
トの神は夏のソロを守って人の寿命を延ばすといい、特に尊ばれています。

ト神は夏の ソロを守る 永く人草 潤せば 〈ミ7-7〉
・かく陰陽を守る その中に 
‘ト’ は南向く 人草の 寿延ぶる 〈ミ9-3〉


■埴スキの嘗会 (はにすきのなめゑ)
「埴の神 (人の生活を守る神) を纏る嘗会」 の意で、新嘗会の別称です。 ▶嘗会
埴の社に山海の神とトの神を纏ります。

 ★埴スキ (はにすき)
 “埴” は 「埴の神」 の略で、「人の生活を守る神」 をいいます。
 ハニ(埴)は 「下って凝ったもの」 が原義で、この場合は 神が下って凝った 「人」 を意味します。
 スキ(挿き)は 「寄せ・纏わせ・招き」 などの意です。
 ですから 「人の生活を守る神の纏わせ」 という意です。


寿・祝 (ほぎ)

 

【概意】
君はこれを拝受して、使のトガクシが帰る時に御言宣、「冬至る日に大祭。」
アメトコタチとそれに連なる皇の神霊は ユキ・スキの宮、
山海の神とトの尊の神霊は 埴スキの嘗会に纏って、臣民の寿を祈るなり。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

 

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