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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第111回 [2024.2.4]

第二一巻 ニハリ宮法定む文 (3)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 にはりみやのりさだむあや (その3)
 ニハリ宮法定む文 https://gejirin.com/hotuma21.html
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 とこたちの このとしのりの たまめかみ
 ゐくらむわたお うみあける あめよりくたす ひよみかみ
 ふたかみこれに やまさなす

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 トコタチの 子の年宣りの タマメ神
 五クラ六ワタを 生み分ける 陽陰より下す 日夜見神
 二尊これに ヤマサ和す

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■トコタチ (▽疾立ち)
トク(疾く)+タツ(立つ・発つ・起つ) の名詞形で、「先発・先駆・先達」 などが原義です。
この場合は アメノミヲヤの最初の分霊である 「天元神」 のことをいい、
アメトコタチ・コヨノホシ(九曜の星)・アマカミ(天神
) などとも呼ばれます。


年宣りのタマメ神 (としのりのたまめかみ)
トコタチ(=天元神)の子で、「“年宣り神” を生んだ母神」 です。
現在も “歳徳玉女大善神” として、神社などでその御札が売られています。 ▶画像

 タマメは タマムの名詞形で、タマムは タマフ(賜ふ・給ふ)の変態。「下す」 が原義です。
 ですから 「年宣り神を生み落とした神」 という意と考えています。 ▶生み落とす


 ★年宣り神 (としのりかみ)
 「年を告げる神」 の意で、干支の構成要素となっている
  11神 の総称の1つです。

 この11神は 「地上に生きる人間の日々の暮らしを支援する神霊」 で、
 すなわち、自然環境の脅威を緩和し、衣食住を世話する神々です。
 その目的の実践部隊として、11神から “八将の神” が派生しています。

 そのため この11神には非常に多くの別名があり、
  地の十一神(わのそひかみ)、室十一神(むろそひかみ)、
  地尊
(くにみこと)、竈の神(みかまどのかみ) とも呼ばれます。
 また ヱト(干支・▽上下・▽陽陰) の構成要素となっている神々であるため、
  干支守神(ゑともりかみ)、日夜見神(ひよみかみ)、年宣り神(としのりかみ)、
  陽陰の守(あめのかみ)、陽陰守(あまもり) とも呼ばれ、あるいはまた
  五臓六腑の神(ゐくらむわたのかみ)、ウマシアシカイヒコチ神 などとも呼ばれます。


■五クラ六ワタ (ゐくらむわた:五臓六腑)
「五クラ六ワタの神」 の略で、年宣り神 の別名の1つです。


■生み分ける (うみあける)
アケルは アカル(散る分る)の他動詞形で、ワケル(分ける)の変態です。
生む+分ける は同義語の連結で、「生み出す」 というような意味です。


■陽陰より下す (あめよりくだす)
これは次の “ひよみ” の意味を知らせるための注釈で、
「陽陰のシステムが生み落とす」 の意に解しています。  ▶陽陰


■日夜見神 (ひよみかみ)
ヒヨ(日夜)は 「日月・陽陰・上下」 と同義で、ヱト(干支・▽兄弟) の換言です。
ですから 「干支を見せる神・暦の神」 という意で、これも 年宣り神 の換言です。


二尊 (ふたかみ)

ヤマサ (八将)

■和す (なす)
ノス(乗す)、ニス(似す) などの変態で、「合わす・添える・加える」 などが原義です。
これは “五クラ六ワタ” (=年宣り神・陽陰の守・日夜見神) の11神に加えて、
“ヤマサ神” も臣民の地上生活を支援するように命じたということです。

 

【概意】
トコタチの子の 年宣りタマメ神は、五クラの神と六ワタの神を生み分ける。
陽陰より下す “日夜見神”、二尊はこれに ”ヤマサ” を加える。

 

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 あめのみまこは にいはりの かとのたかやに やまさかみ
 まつるはたみの からふしま わかくしまとと とよまとと
 つねにまもりて とりおかふ たみのからかれ あらしなと

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 陽陰の御孫は 新張りの 門の高屋に ヤマサ神
 纏るは 「民の 枯生締 我がクシマドと トヨマドと
 常に守りて 鳥を飼ふ 民の乾枯れ あらじなと」

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陽陰の御孫 (あめのみまご)

新張り (にいはり)

■門の高屋 (かどのたかや)
「宮の正門と一体化した高殿・高楼」 をいいます。 ▶高屋 ▶画像


纏る (まつる)
この場合は ヤマサ神を 「まとわす」 という意です。


■枯生締 (からふしま) ■枯生門 (からふかど)
シマは シメ(締め・閉め)の変態で、カド(門)と同義です。
よって枯生締(からふしま)は 枯生門(からふかど) の換言です。
カラフ(枯生)の意味はこのあと説明されます。

 
■クシマド/トヨマド
クシイワマド/トヨイワマド の略です。
宮の正門の両脇には ヒノシマ(日の締)と ツキノシマ(月の締)があり、
日の締にクシマドが、月の締にはトヨマドが入って、門から汚穢が侵入するのを防ぎます。

 今でも神社の正門にはよく見られ、門の両脇のブースに弓矢を持った神像が
 座っていますが (随神門)、門の両脇のブースが “日の締” と “月の締” で、
 その中に座す神像がクシイワマドとトヨイワマドです。 ▶画像


■鳥を飼ふ (とりおかふ)
「ニワトリ(庭鳥)を放し飼いにする」 ということです。
今も神社では よくニワトリを見かけますが、その由来もこれから説明されます。


■乾枯れ (からがれ)
「干からびて枯れるさま」 をいいます。


■あらじな
アル(有る)+ジ+ナ で、ジは 否定の “ズ” の推量形です。 ▶じ
ナは 願望・要求・勧誘・軽い命令 の意を表します。 ▶な
ですから 「〜があってくれるな・〜の無いようにな」 みたいな意です。

 

【概意】
陽陰の御孫は新張りの門の高屋にヤマサ神を纏る。それは …

〈以後かなり長く ニニキネが自ら語る言葉が挿入されます〉

「民の枯生締は、我がクシマドとトヨマドとが常に守って、庭鳥を飼う。
民の乾枯れがあってはならないと。」

 

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 をさかおこれは たみつかる つかれてわさも からかれと
 うつたふときに いましめて くにおたさねは たみこころ
 あめにとときて きみかかと やまさのかみか しるゆえに
 こころくるしむ そのときは ともにみたるる とりのとき

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 「長がおごれば 民 疲る “疲れて業も 乾枯れ” と
 訴ふ時に 戒めて 国を治さねば 民心
 天に届きて 君が門 ヤマサの神が 知るゆえに
 心苦しむ その時は 共に乱るる 鳥の閧」

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おごる (驕る・傲る・奢る) ■おごり (驕り・傲り・奢り)
アガル(上がる)、オコル(怒る・熾る)などの変態です。
「上がる・高まる/高ぶる・勢いづく・増長する」 などが原義で、
「自分を尊しとして思い上がる」 ことを意味します。


戒む (いましむ)

■天 (あめ)
ここでは 「天界・神界・非物質界」 の意に解しています。


■鳥の閧 (とりのとき)
「ニワトリの鬨の声」 の意で、つまり 「コケコッコー」 の鳴き声です。  ▶鬨

 

【概意】
「治める長が驕れば民は疲弊する。
“疲れて仕事も乾枯れ” と訴える時に、戒めて国を治さずにおれば、
民の心は神の世界に届き、君が正門に纏るヤマサの神が知るゆえに、
民の心が苦しむその時は 庭鳥の “コケコッコー” の声も共に乱れる。」

 

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 みたれいためは ひともしる ふとまにみれは けたおしる
 つうしよこへお つかわして たみおみたらは
 そのつかさ あらためかえて かれおとく ゆえからふなる

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 「乱れ傷めば 人も知る フトマニ見れば 方を知る
 ツウジ・ヨコベを 遣わして 民を乱らば
 その司 改め替えて 枯れを解く ゆえ “枯生” 成る」

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■方を知る (けたおしる)
ケタは カタ(方)の変態で、ここでは 「方向・方角・方位」 を意味します。
よって 「フトマニを見れば苦しむ民の住む方角が判る」 という意です。 ▶フトマニ
しかしフトマニで方角を知る具体的な方法については、触れられていません。


■ツウジ・ツウヂ (通じ・通ぢ) ■ヨコベ (横綜・横侍)
地方の国を治める長を “ツウジ/ツウヂ” といい、これはクニツコ(国造)の別名です。
各国のツウジには10人の “ヨコベ” が付けられました。ヨコベは ツウジの補佐役
であると同時に、行政の不正を監視する 「見張り役」 でした。
後世の 横目付(よこめつけ) はヨコベの名残と考えられます。

 23アヤで語られますが、ツウジもヨコベも元来は 織機を構成する部品の名です。
 ヲサ(筬/長)やアレヲサ(粗筬/粗長)もそうでしたが、古代の日本は政治機構を
 機織りになぞらえていました。


■枯生 (からふ)
カラは カレ(枯れ)の変態、フは フル(振る)の名詞形で、
民の 「枯れを振るわすこと・不振を振興すること」 を意味します。 ▶生(ふ)
枯生門に纏るヤマサ神と庭鳥は、民の枯れを探知するセンサーだったというわけです。

 カラフカド の ‘カ’ が抜け落ちた “らふかど” に漢字を当てたのが
 「羅生門」 じゃないのか? と思ったりしてます。

 

【概意】
「<庭鳥の声が> 乱れ傷めば人も異常を知り、フトマニを見れば方角が判る。
その国のツウジ・ヨコベを遣わして検察し、もし民を乱しているならば
その地の司(=長)を改め替えて 民の枯れを解く。ゆえに “枯生” が成る。」

 

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 にわとりは かおうけなきて つあかゑす こぬかおこえは
 こかこふと なくはすなおや くたくれは くたかけなくそ
 からすたも よきいおうけて よろこへり
 うれへはうれふ おのかかお つけすゆらすは からすなり

―――――――――――――――――――――――――――――
 「庭鳥は 甲を受け鳴きて 果分得ず 小糠を乞えば
 “コカコフ” と 鳴くは素直や 果 呉れば くたかけ鳴くぞ
 カラスだも 良き魚受けて 喜べり
 憂へば熟れふ 己が渇を 告げず揺らすは カラスなり」

―――――――――――――――――――――――――――――

■甲 (か)
カフ(甲)の略で、「外皮・殻」 を意味します。この場合は ヌカ(糠) と同じです。

  
■果分 (つあか)
「果実の部分」 という意です。

 ★ツ (▽付・▽着・▽尽・▽果)
 ツク(付く・着く・尽く) の名詞形 “ツキ” の略で、「行き着き・果て・結果・果実」 などの意。

 ★アカ (▽分・▽散)
 アカル(散る・分る)の母動詞 “アク” の名詞形で、ワケ(分け)の変態です。


■小糠・粉糠 (こぬか)
コヌ(▽熟ぬ)+ヌカ(糠) の短縮で、コヌは コナル(熟る)の母動詞。
ヌカ(糠)は ヌク(抜く・脱ぐ)の名詞形で、「抜け殻」 をいいます。
ですから 「こなれた抜け殻」 が原義で、「細かくなった米の皮」 を意味します。


■コカコフ
今に言う 「コケコッコー」 です。


■果 (くだ)
‘くっつく’ の母動詞 “クツ” の名詞形で、「合わせ・付き・結び」 が原義です。
ここでは 「結んだ実・果実・果物」 を意味し、ツアカ(果分)の換言です。


呉る (くる)
クル(来る・繰る・▽転る) と同一で、「往き来させる・回す・遣る」 などが原義です。


■くたかけ鳴く (くたかけなく)
ニワトリが 「くだくだしく “コケッ コケッ” と鳴く」 という意だと思います。
“クタ” は 「くだくだしいさま」、“カケ” は 今に言う “コケッ” でしょう。 ▶クダ ▶カケ
このことが由来だと思うのですが、クタカケ はニワトリの別称でもあります。


■喜べり (よろこべり)
喜ぶ+なり の短縮形です。


■憂へば熟れふ (うれへばうれふ)
ここは解釈が難しいところですが、はじめのウレフは 「憂ふ」 の意に、
2つ目のウレフは その逆の 「熟れふ」 の意に取りました。
“憂ふ” は 「低まる・衰える」 が原義で、この場合 「飢える」 と同じです。
“熟れふ” は “熟れる” の変態で、「高まる・勢いづく・熟す」 などの意です。
したがって 「飢えれば高まる」 という意になります。


■己が渇 (おのがか)
これも難しいですが、「我が身の渇き・渇望」 の意に解しています。
カは カフの名詞形で、カフは コフ(乞ふ)の変態です。


■揺らす (ゆらす)
この場合は 「心を揺らす・躊躇する・ためらう」 という意味のようです。
つまり 「躊躇して行動をためらう」 ということです。
これは “揺らふ” という、同義語とおぼしき言葉から推理しています。

 

【概意】
「庭鳥は殻を受ければ喜んで鳴くが、実の部分は食わぬ。
小糠を乞いて “コカコフ” と鳴くのは素直や。
実なんぞ呉れたら、くだくだしく “コケッコケッ” 鳴くぞ。
カラスだとて良き魚を受ければ喜ぶなり。
飢えれば高まる自分の渇きを他には知らせず、
躊躇しながらも行動を控えるのがカラスである。」


 この部分は何が言いたいのかよくわからないのですが、
 庭鳥は素直にストレートに感情を表現するから、
 世の乱れを知るのにうってつけの鳥だ、ということでしょうか。

 

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 とりよりさきに しるかみの しまはとりゐそ これかみの
 みこにをしゑて いたわりお しらねはかみは とりゐぬそ
 ほつまおなめて とりゐなりける

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 「鳥より先に 知る神の 占は鳥居ぞ これ尊の
 御子に教えて いたわりを 知らねば尊は 鳥・犬ぞ
 ほつまを並めて 鳥居 生りける」

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■鳥より先に知る神 (とりよりさきにしるかみ)
これは 「ヤマサ神」 をいいます。

 民心 天に届きて 君が門 ヤマサの神が 知る故に
 心苦しむ その時は 共に乱るる 鳥の閧 〈ホ21-3〉


■占 (しま)
シム(占む・締む)の名詞形で、「占める場所・居場所・領地」 をいいます。
ここでは “占” と当て字しましたが、“締・州・島” どれでも同じです。


鳥居 (とりゐ)
これには2つの語源があります。
1つは トル(取る)+ヰヌ(去ぬ) の連結 “トリヰヌ” の名詞形の胆略で、
「入出する所・出入り口」 を意味し、これは 「門」 の換言です。
もう1つは トリ(鳥)+ヰ(居) で、「鳥の居る所・庭鳥が飼われる所」 を意味し、
やはり 「門」、特に 「枯生門」 をいいます。


■尊の御子に教えて (かみのみこにをしゑて)
カミ(尊)は 「二尊」 を指します。(この時点では天に還ってます)
ミコ(御子)は この場合は 「ヤマサ神」 をいいます。

 二尊は11神 (五クラ六ワタ=年宣り神=日夜見神=陽陰の守) に加えて、ヤマサ神にも
 人の地上生活を支援するよう命じ、その8神の名付け親となりました。〈22アヤ〉
 このためヤマサ神を二尊の “御子” と表現しています。
 また “教えて” とは、「人の地上生活を支援するよう導いて」 という意味でしょう。

 ・陽陰より下す 日夜見神 二尊これに ヤマサ和す 〈ホ21ー3〉
 ・その十一神を 干支守と 編み養うて 
八御子生る
  陽陰二尊の 御言宣 これに賜わる 一兄の名は ・・・ ・・・ 〈ホ22〉


労り (いたわり)

■鳥犬ぞ (とりゐぬぞ)
「鳥や犬と変わらないぞ・鳥や獣なみのレベルだぞ」 という意です。
これはトリヰ(鳥居)の語源である トリヰヌ(取り去ぬ) に語呂合わせしたシャレだと思います。
またこれは 鳥居付近にいる 「庭鳥」 と 「狛犬」 の由来を説明しているのかもしれません。


■ほつま
この “ホツマ” は 「和合・調和・不偏・素直」 などの意を表します。
ヤマト(和)マト(真調)ト(調) などの換言で、“ほつまつたゑ” の ホツマ はこれです。
もう1つのホツマとは原義が異なりますので注意してください。

 ホツ+ツム(集む) の短縮 “ホツム” の名詞形で、ホツは ホダ(絆)の母動詞。
 両語とも 「合う/合わす・和す・調う」 などが原義です。

この場合は特に、二尊が調和の実現のために、民を我が子として篤く教え
なおも逆らえばほころばす道、つまり 経と矛の道 を “ほつま” と呼んでいます。

 二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに
 
篤く教えて 人となす 教えてもなお 逆らはば 打ち綻ばせ 〈ホ17-2〉


並む (なむ)
「経の道と矛の道を並べて結ぶ」 という意味です。
鳥居の二柱は、二尊の統治原理の二本柱、すなわち “経の道” と “矛の道” を表すもので、
その 「ニ本の柱を並べて “貫” でつないで統合する」 ことを意味します。  ▶貫 ▶画像


■ほつまを並めて鳥居生る (ほつまおなめてとりゐなる)
民を我が子として教え育む二尊の、「経と矛の心を形にして鳥居は生れる」 という意です。
これはつまり、「その二尊にあって、ヤマサの御子の功労に無関心などということは、
絶対にありえない」 ということを言ってます。

 

【概意】
「鳥より先に知るヤマサ神の居場所は鳥居ぞ。
もしこれ二尊がヤマサの御子を導いておきながら、
その功労に無関心であるなら 二尊は鳥・犬と変わらぬが、
二尊の、我が子を教え調える心を形にして 鳥居は生れたのである。
(だから無関心なんてことは絶対にありえない)」


 ここでニニキネの言葉は終り、次からはクシヒコの宮造り法が再開されます。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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