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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第160回 [2024.6.15]

第二九巻 タケヒト ヤマト打ちの文 (2)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 たけひとやまとうちのあや (その2)
 タケヒト ヤマト打ちの文 https://gejirin.com/hotuma29.html
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 あすすきみゑの かんなみか あみこみつから もろひきて
 みふねのいたる はやすひと よるあまおふね あひわけか
 とえはくにかみ うつひこそ わたのつりにて きくみふね
 むかふはみふね みちひくか あひとこたえて みことのり

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 上鈴キミヱの 十月三日 太子自ら 諸 引きて
 御船の到る 速吸門 寄る海人小船 アヒワケが
 問えば 「地守 ウツヒコぞ 海の釣にて 聞く御船
 向かふは御船」 「導くか」 「あひ」 と答えて 御言宣

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上鈴 (あすず)

■キミヱ
我が国本来の干支の表し方で、今の表し方では 甲寅 (きのえ・とら) に当たります。
60日/60年で一周する51番目です。よって “上鈴キミヱ” は 「上鈴51年」 の換言です。

 御祖天君(ウガヤフキアワセズ)の崩御が 50鈴1000枝20穂=上鈴20年、
 そのとき皇太子のタケヒトは15歳でした。それから31年後です。


太子 (あみこ・をみこ)
この場合は 「皇太子」 を表し、御祖天君の皇太子である タケヒト を指します。


■御船 (みふね)
ミ(御)フネ(船) で、「御幸の船」 をいいます。イワ船イワクス船 とも呼ばれます。

 世に流行る歌 『のりくだせ ほつまぢひろむ あまもいわふね』〈ホ29-1〉


速吸門 (はやすひと)
大分市の関崎と愛媛県伊方町の佐田岬に挟まれる 豊予海峡 の古名です。


海人小舟 (あまおぶね)
「漁師の船・漁船」 です。 ▶あま
オブネ(小舟)は おそらくフネ(船・舟・槽)の同義語で、“小” の意は無いと考えます。

 
■アヒワケ・アメヒワケ (▽太陽別・天日別)
アメフタヱの孫で、新撰姓氏録に 天日別命 と記されます。

 アメフタヱ─天波与命─アヒワケ─彦国見賀岐建興来命─彦田都久禰命─┐ 
                                  │ 
       ┌──────────────────────────┘ 
       │ 
       └彦建津命─彦久良為命─オオワカゴ─オトワカゴ

アヒ/アメヒ(太陽)+ワケ(分・別) で、「太陽神(あまひかみ)の区画」 という意味です。
これは 「イセの国」 の換言です。後にこの人物は伊勢の国造となるため、この名で呼ばれます。

 中臣神社 (なかとみじんじゃ)
 三重県桑名市本町46、現在は桑名宗社に合祀。
 現在の祭神:天日別命
 ・天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれる。
  古くは現地より西方へ二十町余も隔たった山上にあったのを、正応二年に
  桑名神社の境内へ遷し奉る。

 五所神社 (ごしょじんじゃ)
 高知県室戸市吉良川町乙887。
 現在の祭神:天鈴鉾大神、天御雲大神、天村雲大神、天波與大神、天日別大神
 ・ 天波與大神は 天村雲大神(=アメフタヱ)の子で、天日別大神の父。


地守 (くにかみ)

■ウツヒコ
次段で述べられるように、この人物が シイネツヒコ の名を賜るわけですが、
出自・素性については説明がなく、他文献にも手がかりがありません。
日本書紀/新撰姓氏録には 珍彦/宇豆彦 と記されます。

一つ思い当たるのは、ホノススミ(=ウカワ宮・スセリ)の子の斎名が、
ウツヒコだったということです。同一人の可能性を排除できません。

 ウカワ宮 娶るスセリ姫 御子を生む 斎名ウツヒコ 〈ホ27ー1〉

 アマテル─オシホミミ─ニニキネ┐
                ├ホノススミ┐
 カグツミ──マウラ──アシツ姫┘     ├ウツヒコ
                      │
 オホナムチ─クシヒコ─コモリ──スセリ姫─┘
                  (6女)

海 (わた)


■あひ (合)
今に言う “はい” で、「同意するさま」 を表します。

 

【概意】
上鈴51年キミヱの10月3日、皇太子みずから諸を率いて出発し、
御船が速吸門に到ると近寄る漁船あり。アヒワケが問えば、
「地守のウツヒコぞ。海で釣中に御船の存在を知り、御船に向って参った。」
「海路を導くか?」 と問えば、「あい」 と答えて御言宣。



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 しいさほのすえ もたしめて ふねにひきいれ なおたまふ
 しいねつひこの ひくふねの うさにいたれは うさつひこ
 ひとあかりやに みあえなす かしはてによる うさこひめ
 たねこかつまと ちちにとひ つくしのをしと

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 しい棹の末 持たしめて 船に引き入れ 名を賜ふ
 シイネツヒコの 引く船の ウサに到れば ウサツヒコ
 “人あがり屋” に 御饗なす 膳出に寄る ウサコ姫
 タネコが妻と 父に問ひ ツクシの治人と

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■しい棹 (しいざほ)
船の操舵に用いる 「まっすぐ長い棒」 をいいます。
シイ+サホ(棹・竿) の同義語連結で、両語とも 「まっすぐ一筋のもの」 が原義です。
シイは シフの名詞形で、シフは シム(染む) や ソフ(添ふ・沿ふ)の変態です。


■シイネツヒコ
タケヒトがウツヒコに賜った名です。
シイ(=棹)+ネツ(▽粘つ)+ヒコ(彦) で、「棹が引き付ける臣」 の意と考えます。
ネツは “ねつい”  “ねちっこい” などの母動詞です。
記紀には 槁根津日子/椎根津彦 と記されます。


■ウサツヒコ
「ウサの臣」 という意で、豊の国の 「ウサの県主」 を意味する名です。 ▶ウサの県 ▶県主
これはタナコ姫が生んだウサツヒコと同一です。 ▶タナコ
記紀には 宇沙都比古/菟狭津彦 と記されます。

 ウサツヒコは 御祖天君の御供として九州に行くと、そのままウサの県主に任じられ、
 現地に土着したようです。

 タナコ姫 イブキト宮に 生む御子の 兄はイヨツヒコ トサツヒコ ウサツヒコ
 これ御供に 行きてツクシの ウサに住む 母もウサにて 神となる 〈ホ28-6〉

           ┌ヒルコ
 トヨケ──イザナミ┐├アマテル────タナコ  ┌イヨツヒコ
          ├┼ツキヨミ──┐  ├───┼トサツヒコ
 アワナギ─イザナギ┘└ソサノヲ  ├イブキヌシ └ウサツヒコ
                  │
 サクナギ─イヨツヒコ─イヨツ姫──┘


■人あがり屋 (ひとあがりや)
ヒト(人・仁)+アガリ+カリヤ(仮屋) の短縮で、「皇位継承予定者が入った仮宮」 の意と考えます。
これはウサツヒコが主となっている ウサの宮 (現在の宇佐神宮) を指すものと思います。

 ヒトは 「“ヒト” の斎名を持つ身分の人=皇位(継承予定)者」 を意味し、この場合は タケヒト です。
 アガリは “どうぞおあがり” のアガリで、「合い/合わせ・入り/入れ」 を意味します。
 記紀には アシヒトツアガリノミヤ(足一騰宮/一柱騰宮) と記されます。


御饗 (みあえ)

■膳出 (かしはで)
「膳を出すこと/人・給仕/給仕役」 をいいます。 ▶膳


■ウサコ姫 (うさこひめ)
ウサツヒコの娘です。記紀には ウサツヒメ(宇沙都比売/菟狹津媛) と記されます。


■タネコ

■父 (ちち)
ウサツヒコを指します。


■ツクシの治人 (つくしのをし)
「九州の統治者」 を意味します。 ▶治人(をし)
タケヒトの仲介でウサコ姫を娶ったタネコは、“ツクシの治人” に任じられ、
九州に残ってその統治にあたります。

 

【概意】
しい棹の末を持たせて船に引き入れ、シイネツヒコと名を賜う。
シイネツヒコの導く船がウサに到れば、ウサツヒコは “人あがり屋” にて御饗をなす。
膳出に寄るウサコ姫を 「タネコの妻に」 とその父に請い、タネコを九州の治人となす。



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 あきのくに ちのみやにこす やよひには きひたかしまに
 なかくにの まつりをさめて みとせます 
 うちにととのひ みふねゆく あすすゐそゐほ きさらきや

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 安芸の国 チノ宮に越す 三月には 吉備高嶋に
 中国の 政 治めて 三年座す 内に調ひ
 御船行く 上鈴五十五年 二月や

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■安芸 (あき)
アク(上ぐ)の名詞形で、「あがり・ゴール・終り」 などが原義。「秋」 と同源です。 ▶秋
この場合は 「太陽のゴール・日没」 をいい、「日没の方向・西」 を意味します。
この時点では 安芸は一国として成立しているようです。


■チノ宮 (ちのみや:千野宮・茅野宮)
チ(千・茅)+ノ(野)+ミヤ(宮) で、チは 「栄え・繁栄・栄光」 などの意と考えます。
これはつまり 「タケヒト君が入った栄光の仮宮」 という意味でしょう。
書紀では 埃宮(ゑのみや)、古事記では 多祁理宮(たけりのみや)と記され、
現在の多家神社がその痕跡とされます。

 多家神社 (たけじんじゃ)
 広島県安芸郡府中町宮の町3丁目1-13。 
 現在の祭神:神武天皇、安芸津彦命


■吉備 (きび)
キワ(際)の変態で、「極まり・かぎり・果て」 などが原義です。
この場合はやはり 「太陽の果てる方向・日没の方向・西」 を意味します。


■高島・高嶋・貴州 (たかしま)
タカシマ(貴州)は 「高貴な区画」 を意味します。
ですからこれもタケヒト君が仮宮としたことを表す地名でしょう。

 この場所については諸説ありますが、児島湾の高島が有力です。
 現在は児島水道、東西両大川の口の間の浅水中にあり、
 この島と南岸の宮浦は神武帝駐師の故跡という伝承が残ります。

 高島神社 (たかしまじんじゃ)
 岡山県岡山市南区宮浦3268。
 現在の祭神:神武天皇


■中国 (なかくに)
この場合は 「本州・本土・内地」 を意味するものと思います。
具体的には、中国根の国西中国 です。

 

【概意】
安芸の国のチノ宮に年を越す。
3月には吉備高島に座して中国の政を治め、3年の内に調えば、
また御船は行く。上鈴55年の2月であった。



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 はやなみたつる みつみさき なもなみはやの みなとより
 やまあとかわお さかのほり かうちくさかの あうゑもろ
 やかたにいくさ ととのひて

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 早波立つる 水岬 名も “浪速の 水門” より
 山後川を 逆上り 河内クサカの アウヱモロ
 館に軍 調ひて

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早波・早浪 (はやなみ)

■水岬 (みづみさき)
ミサキ(岬)は 「放出・突出」 が原義です。ですから “水岬” とは 「水の放出」 を意味し、
これは川の水が海へ放出される 「河口」 をいいます。

 “早波立つる水岬” とは 「波を荒立てる川の水の放出」 という意で、川はこの場合 「淀川」 です。
 ただし当時の淀川は現在とはかなり違うはずです。また当時は海の水位が現在より高く、
 大阪市付近はおおかた海と沼でした。 ▶河内湾

 後世、海の水位が下がってこの海域が陸になると、“水岬” は陸上の地名となり、
 「難波の御津」「三津の崎」 などと記されています。

 ・女人あり、難波御津に居て哭く 〈日本書紀〉
 ・難波潟 
三津の崎より 大船に 真梶繁貫き 〈万葉集〉
 ・芦が散る 
難波の御津に 大船に 真櫂繁貫き 〈万葉集〉


■浪速の水門 (なみはやのみなと)
ナミハヤ(浪速)は 「波の荒いさま」 をいい、ハヤナミ(早波) と同じです。
ミナト(水門・港・湊)は 「水の放出口・河口」 が原義です。
したがって 浪速の水門=早波立つる水岬 で、これは 「淀川の河口」 をいいます。

 ナミハヤ(浪速)は ナミハ・ナンバ(難波)、ナニワ(難波・浪速・浪花)、ナダ(灘) などに変化し、
 これも元来は 「荒波の海域」 を表すものでしたが、海の水位が下がって陸となるに伴って、
 陸上の地名となりました。


■山後川 (やまあとがわ)
これは 山背川(やましろがわ) を言い換えたものです。 ▶山背
「山背から流れ来る川」 という意味で、「淀川」 の古名と考えられます。

 現在の淀川を大阪湾の河口からさかのぼると、山崎付近で 桂川、宇治川、木津川 に分れ、
 桂川は山背へ、宇治川は琵琶湖へ、木津川は大和へ通じています。

タケヒトらが逆上った山後川は、もちろん現在の淀川水系とは違いますが、
現在の 安治川ー寝屋川 がそれに近いのではないかと推測しています。


■河内 (かうち・かわち)
カワ(川・河)+ウチ(内) の短縮で、おおよそ古代の淀川と大和川に挟まれた地域をいうと思われます。
現在よりも海が内陸部に深く入り込んでいたため、今の大阪府の東部の地域になります。


■クサカ (▽軍処・草香・日下・孔舎衙)
今も 東大阪市の日下(くさか)町 に名が残ります。
クサ(軍)+カ(処) で、クサは イクサ(軍)の略。「軍を調えた処」 の意と思います。
日本書紀には 河内国草香邑 と記されます。


■アウヱモロ・アフヱモロ・オフエモロ (▽合江守)
アウ(合)+ヱ(江)+モロ(▽守) で、「河内の守・河内の領主」 を意味する個人名です。
記紀には 青雲(あおくも)、また 大日諸(おおひもろ)と記されます。
  
 ヱ(江)は ヱリ(彫り)の略で、「掘り・溝」 を原義とし、「川」 の換言です。
 ですからアウヱ(合江)は 「川の合・川の間」 の意で、「河内」 の換言です。
 モロは モル(守る)の名詞形で、モリ(守)の変態です。


館 (やかた)
この場合は 「河内を治める政庁舎」 をいいます。

 

【概意】
早波を立てる淀川河口の水の放出、名も “浪速の水門” より
山後川を逆上り、河内クサカのアウヱモロの館で軍を調えて、



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 たつたのみちは ならひえす いこまこゆれは
 なかすねか いくさおこして わかくにお うはわんやわと
 くさえさか たたかひあわす
 ゐつせみこ ひちおうたれて すすみゑす

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 タツタの道は 並び得ず イコマ越ゆれば
 ナガスネが 軍起こして 「我が国を 奪わんやわ」 と
 クサエサカ 戦ひ合わす
 ヰツセ御子 肱を撃たれて 進み得ず

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■タツタの道 (たつたのみち:竜田の道)
タツタの神を纏る社 (龍田神社) へ通じる道」 という意と思います。

 ★参考:竜田越奈良街道 −Wikipedia より抜粋−
 大阪と奈良を結ぶ街道の一つであり、斑鳩町の竜田(龍田神社付近)を通る 「竜田道」 の一つである。
 現在は国道25号が踏襲している。最短ルートである暗越奈良街道が急峻な山越えであるため、
 比較的坂の緩い平坦路として重宝された。


■並び得ず (ならびえず)
「対等になれない・対抗できない」 という意で、この場合は、タツタの道は敵の大軍が警戒していて、
「味方の勢力がとても敵におよばない」 という意に解しています。
そのためやむをえず、険しい “生駒越えの道” を行くわけです。

 ★参考:暗越奈良街道 −Wikipedia より抜粋−
 大坂から生駒山地の暗峠を超えて奈良に至る街道で、
 奈良時代に難波と平城京を最短距離で結ぶ道として設置された。


■イコマ (生駒・胆駒)
奈良県と大阪府との境にある 生駒山 (642m) です。
イ(▽率)+コマ(駒)+ヤマ(山) で、タケヒトが 「駒(=兵・軍)を率る山」 の意と考えています。 ▶率る


■奪わんやわ (うばわんやわ)
「奪おうとするのか!?」 というような意です。 ▶やわ・やは


■クサエザカ (▽戦合境・孔舎衛坂)
クサ(▽軍・▽戦)+エ(合・会)+サカ(境) で、
クサは イクサ(軍・戦)の略、エ(合・会)は 「合わせ・交え」、サカ(境)は 「区画」 です。
ですから 「軍が合った場所・戦いを交えた場所・合戦場」 という意です。

 1964年まで現在の大阪府東大阪市日下町に、近鉄奈良線の孔舎衛坂駅がありました。

 さか【境】〈広辞苑〉
 さかい。区画。複合語として用いる。

 

【概意】
タツタの道は敵の軍勢に対抗できないため、生駒山を越えれば、
ナガスネが軍を動かして 「我が国を奪わんとや!?」 と、クサエサカにて戦いを交える。
その際、ヰツセ御子が肱を撃たれて進軍を断念する。



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 すへらきふれる はかりこと
 われはひのまこ ひにむかふ あめにさかえは しりそきて
 かみおまつりて ひのままに おそははあたも やふれんと
 みなしかりとて やおえひく あたもせまらす みふねゆく

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 統君 触れる 計り事
 「我は日の孫 日に向ふ 陽陰に逆えば 退きて
 神を祭りて 日の随に 襲わば仇も 敗れん」 と
 皆 「然り」 とて 八尾へ退く 仇も迫らず

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統君・皇 (すべらぎ・すめらぎ)
「国家を統べ治める君・国家君主」 を意味することが多いのですが、
タケヒトはまだ正式には即位していない (三種器を受けていない) ため、
この場合は 「諸臣を統率する君」 の意で使われているものと思います。


■計り事・謀 (はかりごと)
この場合は 「対応・計略・戦略・作戦」 などの意です。


■日の孫 (ひのまご)
「日の神の子孫・アマテル神の直系の子孫」 という意です。 ▶日の神


■日に向ふ (ひにむかふ)
ここでは 「日の立つ方角に向っている・東に向っている」 という意です。


■陽陰に逆ふ (あめにさかふ)
陰陽の道に逆らう・陽陰和る道に反する」 という意です。 ▶逆ふ
陽と陰は親和し、陽同士と陰同士は反発する法則をいいます。
これは 磁石のS極とN極は引付け合い、S極同士とN極同士は反発し合うのと同じ法則です。
この場合は 「日(陽)の孫が 日(陽)に向う」 のは “陽陰の法に逆らっている” ということです。


■神を祭る (かみおまつる)
ここでは 「日の神を崇めて力を借りる」 という意味合いが強いと思います。 ▶まつる
この頃から人と神との距離が大きくなり、いわゆる “御利益信仰” の思想が芽生えるようです。
これにより思想的にも 神代から人代へ移行したと言って良いでしょう。

 これ以前は、すべての人霊はアメノミヲヤの分け神霊であり、
 天界の神も 人間(=下生した神)も、基本的に対等でした。ですから 「神をまつる」 という行為も、
 神であることを忘れている地上の人間と、天界の神とを結んで同調させることがその目的でした。

  人 常に 神に向はば 世の身々の 垢は天元の 差使に 清め賜ひて
  サコクシの 振ゆの明暗見に 入ると想えば 〈ホ28ー3〉

 それがこの時代になると “戦争に勝つための神” へと変化しています。
 もはや神と人は完全に別種の存在となり、神にへつらえば御利益が、
 神に逆らえば天罰が下る、という思想に次第に傾いてゆくのです。


■日のままに (ひのままに)
「日(太陽)そのままに・日(太陽)さながらに」 という意で、「西の方向に巡って」 という意を表します。


仇 (あだ)

■然り (しかり)
シク(如く)+アリ(在り) の短縮で、「如くである・その通りである」 という意味です。


■八尾 (やお)
現在の 大阪府八尾市 に名が残ります。
ヤブル(破る・敗る)の母動詞 “ヤフ” の名詞形で、「逸れ・外れ・破れ・後退」 などの意です。

 

【概意】
統君は諸に作戦を告げる。
「我は日の神の子孫であるに、日に(東に)向っている。
それは陽陰の法に逆らうことであるので、退いて神を祭り、
日さながらに西に巡って襲えば敵も敗れるだろう」 と。
皆 「その通りである」 とて八尾へ退く。敵も迫って来なかった。

 

本日は以上です。それではまた!

 

 

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