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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第97回 [2023.12.19]

第十七巻 神鏡ヤタの名の文 (10)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 かんかがみやたのなのあや (その10)
 神鏡ヤタの名の文 https://gejirin.com/hotuma17.html
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 ときにゑむ はるなむはたれ さきのつみ ゆりてもとけぬ
 おのかむね いまややわるる こりたまの をとろそそきて
 のちのをお おく
 あらたけに よるひとも をとろそそかん ちかひなす

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 時に笑む ハルナ 六ハタレ 先の罪 許りても解けぬ
 己が胸 今やや割るる こり霊の 汚泥濯ぎて
 後の緒を 起く
 荒猛に 揺る人も 汚泥濯がん 誓ひなす

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ハルナ

■こり霊 (こりたま)
コリは コルの名詞形で、コルは ニゴル(濁る)の母動詞です。
ですから 「濁った霊」 の意で、“霊” は 「広義の中子・人の心」 をいいます。

 陽陰 日月 魂魄 =  中子

 ★濁る (にごる)
 ニグ(▽和ぐ)+コル(▽交る・凝る・梱る) の短縮で、ニグは ナグ(和ぐ)の変態。
 両語とも 「合う・交じる・くくる・まとまる」 などの意です。


■汚泥 (をどろ)
“こり霊” に付いている 「曇り・錆」 をいいます。

 これ身の鏡 曇り錆び 奪わる中子 磨かんと 〈ホ17ー8〉


■緒を起く (をおおく)
ヲ(緒・▽結) は 「結び・縛り」 が原義で、この場合は 誓ひ契り と同義です。
オク(起く)は 「起す・立てる」 の意。ですから 「誓いを立てる」 という意となります。


荒猛 (あらたけ)
“これが過ぎるとハタレになる” と、アマテルはいいます。

 荒猛心 子に求め 利き 過ぎねぢけ よこしまの ハタレとなるぞ 〈ホ17-4〉


揺る (よる)
「揺れる・振れる・ぶれる・それる・はずれる」 などの意です。

 

【概意】
時に笑むハルナであった。
さきの六ハタレの罪は許されるも、己の胸は解けぬままであったが、
今ようやく割れる濁り霊の、汚泥を濯いで後の誓いを立てるのであった。
その他の、心が荒猛に振れていた人も汚泥を濯ぐ誓いを立てる。

 

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 またたちからを たにおてて たまゆらきけは みつしれり
 たとひいそらも たついぬも ひしくここちて はんへりき

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 またタチカラヲ 「谷を出て たまゆら聞けば 瑞知れり
 喩ひ イソラも 竜・狗も 拉ぐ心地で 侍べりき」

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谷 (たに)
「仕切り・境・区分・区画」 などの意です。
ここに言う “谷” は 「自分の区画・自分の住む地区」 の意かと思います。
ですから 「村を出て」 と言うのと同じような感じでしょう。

 全国には 鶯谷、渋谷・世田谷 … など、「○○谷」 という地名が
 数多くありますが、それらのほとんどは 「○○の地区」 の意と考えられます。


たまゆら

瑞 (みづ)
ミヅ(水)・ミツ(密・蜜)と同源で、「上澄み・精髄・神髄・粋・本質」 などが原義です。
ここでは 「妹背の道の粋」 をいうものと思います。 ▶妹背の道


知れり (しれり)

イソラ・ヰソラ

竜・龍 (たつ)

狗 (いぬ・ゐぬ)

拉ぐ (ひしぐ)

■侍べりき (はんべりき)   ▶侍る  ▶き

 

【概意】
またタチカラヲは
「谷を出てたまたま聞けば、陽陰の道の神髄を知るなり。
我が心は、喩えて “邪霊も竜も狗も拉ぐつもりで仕える” にしかり。」

 

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 こもりたうたお かんかえて
 ふくしのやまひ たしやすし なさけとあちの すきやむも
 ねにいらぬまよ はやいやせ ひとわさもこれ
 いろほしも みちもてなせは あやまたす よこよらはやむ
 ほしきおも ゐゑわさなせよ とほしくと ぬすまはかるる

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 コモリ治歌を 考えて
 『肺の病 治し易し 情と味の 過ぎ病むも
 根に入らぬ間よ 早や癒せ 人業もこれ
 色欲も 道以てなせば 誤たず 横揺らば病む
 欲しきをも 癒え業なせよ 乏しくと 盗まば枯るる』

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■治歌・養歌 (たうた)
「身を治す(たす)歌・身を養す(ひたす)歌」 です。


肺 (ふくし:▽覆し)
外からの攻撃から内を守る 「垣」 だといいます。
暑寒などの外部環境の変化には 衣を替えるなどして対応しますが、
(外界の奢りを見聞きして) 内から起る欲は防げないといいます。

  垣 … …  かまえの 暑寒も 衣替ゆれど 欲に染む 〈ホ17-9〉


■情と味 (なさけとあぢ)
“情” は ここでは 「情欲・色欲・性欲」、“味” は 「食欲」 をいいます。


■根に入らぬ間 (ねにいらぬま)
“根” は 「根本・根源」 を表しますが、この場合は 「心・中子・霊」 をいいます。
ですから 「中子/心に入らぬうちに・中子/心まで侵される前に」 という意味です。
これは13アヤでは “腹病めぬ間” と表現されています。

 腹悪し言葉 無かるべし 腹 病めぬ間に 妙に察せよ 〈ホ13-2〉


■人業 (ひとわざ)
「人の行い・人の所業」 の意です。


■道以てなす (みちもてなす)
妹背の道 (調和の道・中庸の道) に則って行う」 という意です。
具体的には次の “横揺る” の反対で、「極端に外れず節度を持って行う」 ということです。

 欲も濯げば 味直り 妹背の道 生る 〈ホ17-8〉


■横揺る (よこよる)
「横にそれる・道を踏み外す・ほど良さを失って溺れる」 ということです。

 味も色目も よこしまに 魄に肖り 身を枯らす 〈ホ17-8〉


■癒え業 (ゐゑわざ)
ヰユ(▽結ゆ・癒ゆ)+ワザ(業)で、「癒える行い・直る所業」 という意です。
これは “心派悪しき業” の反対で、「中子の反作用 (良心の呵責) が起きない所業」 をいい、
つまりは 「曲りなき直ぐな行い・正しい行い」 ということです。

 心派悪しき 業なせば ミヤビ 中子に 告ぐあわれ 〈ホ17-8〉

 

【概意】
 コモリは養生歌を考えて、
『肺の病は治しやすい。情欲と食欲が過ぎると病むが
 中子に入らぬ内なら間に合う、早く癒せ。
 人の行いも同じ。色欲も節度を持ってほどよく行えば誤らず、 横に外れるから病む。
 欲を満たすにも正しい行いでやれよ。 乏しいからと、盗めば枯れる』

 

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 とみつねに ひとのいきすお かんかえは
 たますはふくし いろむらと ぬすめはきもゑ そこなえは
 おとろくなかこ みめにしる ことはいきすの みつしれは
 つたえみちひき そろこやし たみにきはさん ちかひのみ

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 「臣 常に 人の息すを 考えば
 騙すば肺 色 腎 盗めば肝へ 損なえば
 驚く中子 見目に知る 言葉・息すの 瑞 知れば
 伝え導き ソロ肥やし 民 賑わさん 誓ひのみ」

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臣 (とみ)

■息す (いきす)
「息をすること」 をいい、ここでは 「生き・生命・活動」 などを意味します。


腎 (むらと) ■肝 (きも)

■言葉・息すの瑞 (ことばいきすのみづ)
「人の言葉や活動の粋」 という意で、「人の言葉や行動に感情が大きく影響する」
ことをいうものと思います。

・己が胸 騒ぎあるより 言 震え 見目に表れ 〈ホ17-6〉
・見目に言葉に せくぐまり ぬき足 応ふ 〈ホ17-8〉


ソロ (▽揃・▽繁)

 

【概意】
「臣が日頃 人の生命活動を考えますに、
人を騙せば肺へ、色に溺れると腎臓へ、盗めば肝臓へ障害が起り、
それに驚く中子の動揺が外見にも見て取れます。
人の言葉と活動の真髄を知りましたので、それを伝え導き、
また農作物を肥やし、民を賑わすことを誓うのみです。」

 

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 ときにあまてる みことのり
 むへなりなんち よもめくり つちかふみちに かてふやし
 いとまあらせて くにめくり よのあしはらも みつほなる

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 時に和照る 御言宣
 「むべなり汝 四方巡り 培ふ道に 糧 増やし
 暇あらせで 地 回り 万の葦原も 瑞穂生る」

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むべ (宜)

■培ふ道 (つちかふみち)
ここでは 「民を教え育てる道」 をいいます。 ▶培ふ


■暇あらせで (いとまあらせで)
イトマ(暇)+アル(離る・散る)+セデ(=せずに) で、アルは アク(空く)と同義です。
ですから 「暇を空けずに」 という意味です。

 ★暇 (いとま)
 ウトム(疎む)の変態 “イトム” の名詞形で、
 「離れるさま・遠ざかるさま・空くさま」 などが原義です。


■地回る (くにめぐる)
メグル(回る・廻る・巡る)は 「回る/回す」 が原義ですが、
一回転すると元の位置に戻るため、「還る/還す・改まる/改める」 の意を持ちます。
この場合は 「不毛の土地を田畑に改める・地質を改良する」 の意と考えます。


■万の葦原 (よのあしはら)
ヨ(万・余)は 「多数・有り余るさま・残余・他」 などを意味します。
アシハラ(葦原)は ここでは 「雑草の生い茂る場所・耕作に適さない荒地」 をいいます。


瑞穂 (みづほ)

 

【概意】
時に和照る御言宣。
「あっぱれなり。汝は四方を巡り、民を教え育てる道により糧を増やし、
暇も空けずに土地を田畑に改めて、万の葦原も実りを生む。」

 

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 かみのみうたに つちかふは みのあしはらも みつほなる
 たみとなせとみ とみとなれたみ

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 神の御歌に 『培ふば 穢の葦原も 瑞穂生る
 民となせ 臣 臣となれ 民』

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■穢の葦原 (みのあしはら)
ミ(▽穢)は 「下がるさま・落ちるさま・劣るさま」 を意味します。
ですから 「(地質の) 劣る雑草地」 という意です。
そしてこれを 「身分・能力の劣る 青人草」 になぞらえています。


■民となせ 臣 (たみとなせとみ)
これは 「青人草を教えを受ける者となせ、臣よ」 という意で、
アマテルの次の言葉を踏まえるものです。

 教えぬ者は 臣ならず 教え受けぬは 民ならず 〈ホ17ー2〉


■臣となれ 民 (とみとなれたみ)
地質の劣る雑草地であっても、培えば実を結ぶ田畑となるように、
「身分・能力の劣る青人草とて、教えを受けて磨けば人となり得るのだぞ」
ということを言ってます。

 手鍋をさくる きたなきも 磨けば光る 尊となる 〈ホ13ー3〉

 

【概意】
神の御歌に
『培えば 雑草の地とて 実りを生む 民となせ 臣 臣となれ 民』

 

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 もろひとに あまのこやねの もふさくは
 みうたのあちは すえすえの たみもみちひき
 すなおなる わさもをしゑて つちかえは
 ゐゑもさかえて そろふゆる みつほとなせる かみうたそ

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 諸人に アマノコヤネの 申さくは
 「御歌の味は 末々の 民も導き
 素直なる 業も教えて 培えば
 家も栄えて 繁殖ゆる ミヅホとなせる 上み歌ぞ」

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■末々の民・末々の回み (すえずえのたみ)
シタタミ(下民・下回み) の換言と考えます。

 
■素直なる業 (すなおなるわざ)
ヰヱワザ(癒え業) の換言です。


■家 (ゐゑ)
ユフ(結ふ)の変態 “ヰユ” の名詞形で、「結い・和・まとまり」 などが原義です。
この場合は 「国のファミリー・国家・連邦」 をいいます。


■繁殖ゆるミヅホ (そろふゆるみづほ)
このソロは 「繁茂・繁栄・繁華・にぎわい」 などを表します。 ▶ソロ
ミヅホは ここでは 「結び・結果」 を意味します。 ▶ミヅホ
ですから 「賑わいを増す結果」 という意となります。


■なせる
ナス(生す・成す・為す)の 「終止形+エル」 の形の連体形です。


■上み歌 (かみうた)
「勢いづける歌・囃し立てる歌・応援歌・激励歌」 などの意です。

 

【概意】
諸人にアマノコヤネが申すには、
「御歌の意味は、臣が末々の民も導き、素直な業も教えて培えば、
国家も栄えて賑わいを増す結果となせる激励の歌であるぞ。」

 

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 かくのをしゑに みちひきて たみもゐやすく にきはせて
 そのくにたもつ ものあらは すえたみとても うえのとみ
 かならすをして たまふなる みうたなりけり

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 「かくの教えに 導きて 民も気安く 賑わせて
 その国保つ 者あらば 末民とても 上の臣
 必ずヲシテ 賜ふなる 御歌なりけり」

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■かくの教え (かくのをしゑ)
「このような教え・そうした教え」 の意で、 ▶かく(斯く・是く)
この場合は 「民に “素直なる業” を教えること」 をいいます。


気安く (ゐやすく)

■末民・末回み (すえたみ)
シタタミ(下民・下回み) の換言です。


ヲシテ (押手)
ここでは 「称号・身分の証」 をいいます。

 

【概意】
「そうした教えに導いて 民も心健やかに賑わせた上で、
その国を保ち得る者があるならば、末民であっても
その上の “臣” の称号を 必ずや授けるという御歌である。」

 

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 かけまくも いとおそれみの おんうたと
 みちとみひこも もろこえに やもよろたみは ももちこえ
 あなありかたや あなにゑや あなうれしやと をかみさる
 やたのかかみの みなのあや いとめくみなり あなかしこかな

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 「かけまくも いと畏れみの 御歌」 と
 三千臣彦も 諸声に 八百万民は 百千声
 「あなありがたや あなにえや あな嬉しや」 と 拝み更る
 ヤタの鏡の 御名の謂 いと恵みなり あな賢かな

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■かけまくも
「かしこくも・尊くも・ありがたくも」 などの意です。 ▶かけまく


■畏れみ (おそれみ)
辞書にはありませんが、オソレミル(畏れ見る)の連用形 “オソレミ” が名詞化したものです。
“畏れ見る” は オソレイル(畏れ入る)の変態です。
ですから 「気が引けるさま・怖気づくさま・畏れ多いさま」 を表します。


■三千臣彦 (みちとみひこ)
トミ(臣)ヒコ(彦)は同義語で、「民を治め率いる司」 の意です。
ミチ(三千)は 「ヤス国の千五百村の民を治める臣の数」 を起源とし、
中央政府に直属する臣の数を表す場合に慣用的に用います。
三千彦、三千モノノベ、三千の守、三千司 などともいいます。

 そのヤス国の 千五百村 みな頭あり 今これを 合せて三千の 守 治む 〈ホ23〉


■八百万 (やもよろ)
「極めて多数・あらゆる・あらん限りの」 などの意を表す慣用的な表現です。


あなにえや・あなにゑや

更る (さる)
この場合は 「もどる・帰る」 という意です。


謂 (あや)

 

【概意】
「ありがたくもたいそう畏れ多い御歌」 と、三千の臣らもそれぞれ声にし、
八百万の民は 「なんとありがたや、なんと素晴しや、なんと嬉しや」 と
百千の声を上げ、神を拝んで帰っていった。
ヤタの鏡の御名のいわれ、たいへんな恵みである。なんと尊きかな。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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