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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第91回 [2023.12.11]

第十七巻 神鏡ヤタの名の文 (4)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 かんかがみやたのなのあや (その4)
 神鏡ヤタの名の文 https://gejirin.com/hotuma17.html
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 こおもたは しかときくへら
 あらたけの まつはねしけて わたかまる
 ひとのわかはも わかままに みちにもとりて わたかまる
 ひともたききに きることく おしまてしむの ゐたみかな

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 子を持たば しかと聞くべら
 荒猛の 松はねじけて わだかまる
 人の若葉も 我がままに 道に悖りて わだかまる
 人も焚木に 切る如く 惜しまでシムの 痛みかな

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しかと (確と・▽如と・▽然と)
シカは シク(如く)の名詞形で、シカトは シカク(然く・爾く) と同じ。
「ありのまま・まさに・まっすぐ曲げずに・しっかりと」 などが原義です。


■べら
ベシ(可し)と同じと考えてOKです。
ヘル(綜る)の名詞形で、「合わせ・揃え・統べ・調え」 などを原義とし、
「(〜するのが状況に) 合うさま・そぐうさま」を表します。


■荒猛の松 (あらたけのまつ)
アラタケ(荒猛) は 「荒々しく猛々しいさま」 を表し、
“荒猛の松” は 「荒猛の環境 (風雨の厳しい環境) で育った松」 をいいます。

 ★荒猛 (あらたけ)
 アル(荒る)+タク(長く・焚く) の同義語連結の名詞形です。
 両語とも 「高まるさま・勢いづくさま・激しく鋭いさま」 などを意味します。


わだかまる (蟠る)

 後でもう一度説明がありますが、荒猛の松が反り曲るのは、荒猛の環境の中で
 なんとか生き延びようとする 「適応・順応」 なのだと、アマテルは言います。


■我がままに (わがままに)
「自分の思うままに・随意に・任意に」 などの意ですが、荒猛の環境で育った子は
それに適応しようとして、どうしても自分の性格も荒猛となってしまうため、
この場合は 「荒猛の心のままに」 という意味です。


■道に悖る (みちにもとる)
「道から逸れる」 の意です。“道” は この場合は 「素直の道・中庸の道」 をいいますが、
それは結局のところ、ト(調)の道 であり、また アメ(陽陰・和)の道 です。 ▶素直 ▶中庸

 ★悖る (もとる)
 モヂル(捩る)の変態で、「ねじける・曲る・逸れる・外れる」 などの意です。


■焚木に切る (たきぎにきる)
これは “屑を捨てる”と同じ意味です。

 二尊の 経矛に治む 年経れば 鈍・均・鋭の 民あるも
 喩えば数の 器物 
屑を捨てなで 鈍・鋭を 均し用いん 和の心ぞ 〈ホ17-3〉

 

【概意】
子を持つならしかと聞くべし。
荒猛の環境に育つと、松はねじけて反り曲るが、
人の若葉も わがままに素直の道からそれれば、反り曲る。
<曲っているからと> 人も焚木の如くに惜しまず切ったなら、
親族の痛みであるかな。

 

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 こおひたすのり
 くせまつお ひきうゑあらこ つちかえは なおきとなるそ
 をやこころ こまこまあつき とのをしゑ

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 子を養す宣り
 ❝ 曲松を 引き植え 新木 培えば 直木となるぞ ❞
 親心 細々篤き 調の教え

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養す (ひたす)

宣り・告り (のり)
「伝え・言い・述べ・となえ」 などの意で、この場合は 「格言」 です。
昔からの言い伝えなのか、アマテルの即興なのかは不明です。


■曲松 (くせまつ)
「曲がりくねった松の木」 です。
“松” はもともと 「曲り」 の意ですから、“曲松” は 「ひどく曲った松」 をいうのでしょう。

 ★曲 (くせ)
 クス(屈す) の名詞形です。

 ★松 (まつ)
 マヅシ(貧し・不味し)の母動詞 “マツ” の名詞形で、「曲るさま・劣るさま」 が原義です。


■引き植ゆ (ひきうゆ)
これは 「間引いて植える」 という意と考えます。 ▶間引く
つまり 「親木から新芽を切り離して別の場所に植える」 ということで、
「新芽を荒猛の環境から引き離す」 ことを意味します。


■新木 (あらこ)
「新たな木」 をいいます。木(こ) を 子(こ) になぞらえて説明しています。


■培ふ (つちかふ)
ツツ(▽治つ)+カフ(支ふ) の同義語連結で、ツツは タツ/タス(足す・治す)の変態。
「足らして支える・足り助く・守り育つ・養育する」 などの意です。


■親心 (をやごころ)
「親が子を慈しんで恵む心」 をいいます。
ヲヤ(親)は ヲヰ(老)・ウヱ(上) の変態で、「上流にある者」 をいい、
実の親に限らず、「君や臣・御上・公・官」 を含みます。

・二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに  〈ホ17-2〉
・臣・民 子・孫 隔てなく 慈く・恵まん 思ひなり 〈ホ17-2〉


調の教え (とのをしゑ)
調の導き” と同じで、「やわし調える道 (調和の道・中庸の道) を教えること」 をいいます。
さまざまな関係における “調和” ありますが、「自分の心の調和」 がすべての基礎となります。

・臣ら ひめもす 倦まなくて 教えを常の 業となせ  〈ホ17-2〉
・物知るとても 蠢かで 調の導きに 入らざらんをや 〈ホ17-2〉

 

【概意】
子を養う格言。
❝ 曲松から引き植えた新木を培えば直ぐな木となる ❞
親心とは 細々と篤い “調の教え” をいう。

 

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 こはをさのねそ おさなこに あらこをしゑて つちかえは
 なおきをさとそ なるこころ めくみおしらは こたからの
 むねうつはりと なることく ひとのすまゐの うえにあり

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 子は長の根ぞ 幼子に 新木教えて 培えば
 直き長とぞ なる心 恵みを知らば 木材の
 棟・梁と なる如く 人の住居の 上にあり

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■長の根 (をさのね)
「長となる者の卵」 という意です。

 ★ヲサ・ヲシ (長・筬)
 ヲサム(治む)の母動詞 “ヲス(食す)” の名詞形で、
 「治めるもの・束ねるもの・かなめ・司」 などをいいます。
 敬意を添えて “ヲ” と表記する場合が多いです。


■教ゆ (をしゆ)
オス(押す)+シユ(▽締ゆ) の短縮です。両語とも 「合わす」 が原義で、
「写す・なぞらえる・似せる・真似させる」 などの意を表します。
ここでは 「幼子に新木を写す・幼子に新木をなぞらえる」 の意となります。

 “教える” という行為は 上位の者が下位の者に対して施すものなので、
 これも通常は敬意を添えて “ヲ”  の表記を用います。


■直き長 (なおきをさ)
「曲りなき長・素直な長・調和した長」 という意です。
長は 「民の上流にある者・民を束ねる者」 ですから、これが曲っていれば、
下流の民にも曲りが伝染することになります。ゆえに “直き長” の存在は重要です。

 ・直からざれば 人ならず 〈ホ13-6〉
 ・心素直の 人あらば 我が子の如く 取り立てて 〈ホ13-6〉


心 (こころ)
「中心」 を原義とし、この場合は 「宗・主旨・趣旨」 を意味します。


■木材 (こだから)
コ(木)は キ(木)の変態です。ケ(木)と呼ぶ場合もあり、「起」 が原義です。
この “タカラ” は タカル(集る)の名詞形で、「寄せ集め・材・財」 を意味します。

 
棟 (むね) ■梁 (うつばり・はり)
棟は ここでは 「棟木」、梁は 「柱と柱をつなぐため柱上に渡す材木」 をいいます。[画像]
棟木は家屋の最高部に使われ、梁はそれに次ぎますが、これを人になぞらえて、
高い位置にいる人を “棟梁” とか “棟梁之臣棟梁臣” などと呼びます。


■住居・住まい (すまゐ)
スム(住む)+ヰル(居る) の名詞形で、「住み居る所・住居・住処」 の意です。
スム(住む)は スフ(据ふ)の変態で、スフの自動詞形が スワル(座る)です。


【概意】
子は長の根ぞ。
<この格言は> 幼子を新木になぞらえて培えば、素直な長に育つという旨。
<環境の> 恵みを得れば、木材も棟や梁となる如く、人の住居の上にあり。

 

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 あらたけこころ こにもとめ
 ききすきねちけ よこしまの はたれとなるそ 
 ますひとら おさなのときは ねちけのめ はやあらためよ

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 荒猛心 子に求め
 利き 過ぎねぢけ よこしまの ハタレとなるぞ
 マスヒトら 幼の時は ねぢけの芽 早や改めよ

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■荒猛心 (あらたけごころ)
荒猛の環境に育った者の持つ心」 をいいます。
具体的には 「上手に素早く立ち回って目先の利益を追う態度」 をいい、
「明敏で抜け目のないさま・小賢しさ・小利口・狡猾」 などに近いです。

“早利き(はやきき)”  “鋭し激し(としはげし)” などとも表現されており、
さきの 鈍(にぶ)・均(なれ)・鋭(とき) の分類における “” にあたります。

 二尊の 経矛に治む 年経れば 鈍・均・鋭の 民あるも 〈ホ17-3〉

環境の荒猛に適応しようとすることが、この小手先の心を生みますが、
結局のところ、この態度は曲がりくねった小木をつくるのみで、直ぐな
大樹に育つことがありません。


■利き (きき)
「利発さ・鋭利さ・賢しさ・明敏さ」 をいいます。鋭(とき)の換言です。


■過ぎねぢく (すぎねぢく)
「過ぎてねじける・過剰となって変になる」 という意です。
ネヂク(拗く・捻ぢく・捩ぢく)は 「曲る・歪む・異常となる」 などが原義です。


よこしま (邪・▽汚染・▽横様)
ヨコ(横・▽汚)+シマ(▽染・▽様) の意です。
ヨコ(横・▽汚)は ヨク(避く)の名詞形で、「逸れ・反り・曲り」 が原義です。
シマ(▽染)は シム(染む)の名詞形で、「染まること」 を原義とし、サマ(様)の変態です。
ですから 「曲り外れるさま・逸脱するさま」 をいいます。


ハタレ
「逸れ・外れ・曲り・異常・脱落」 などが原義で、「曲り外れた者」 を意味します。
ですから ヨコシマ の同義語です。


マスヒト
この場合は原義通り、民を 「束ねる人・纏る人・治める人」 の意で、
「長・司・臣・守」 と同義です。民にとっての 「親」 また 「環境」 といえます。
民の司、すなわち民の親に荒猛の心があれば、当然それは民にも感染します。

 
幼 (おさな・おさ)
オサ+ナ で、オサは オツ(落つ)の変態 “オス” の名詞形で、オト(弟・乙)の変態。
「下がるさま・劣るさま・未熟」 などを意味します。ナは “なる” の名詞形です。 ▶ナ
ですから 「未熟であるさま・年少であるさま」 が原義です。


■ねぢけ・ねじけ (拗け・捻ぢけ・捩ぢけ)
ネヂク(拗く・捻ぢく・捩ぢく)の名詞形で、「曲り・歪み・異常」 などの意です。

 

【概意】
荒猛心 (鋭利さ) を子に求めたなら、鋭利が過ぎてねじけ、
ついには よこしまのハタレとなるぞ。
民の司たちよ、幼い時はまだねじけの芽。<その芽が大きくなる前に>
早く自分の中にある荒猛心を改めよ。

 

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 すてにまえ のりおあやまる ますひとの
 ほめすきねちけ よこしまか たておもちけて
 とこやみの なんたやわして ややしつむ 
 これもみくさの うつわのり あらていかんそ ゑさらんや

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 すでに前 法を誤る マスヒトの
 褒め 過ぎねぢけ よこしまが 経を捩けて
 とこやみの 傾 和して やや鎮む
 これも三種の 器法 あらで如何んぞ 得ざらんや

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■法を誤るマスヒト (のりおあやまるますひと)
根の国マスヒトだったクラキネをいいます。
クラキネは忠実を装う荒猛の臣、シラヒトコクミを重用・優遇しますが、
そのことが六ハタレを蜂起させるなど、国家の危機を招く原因となります。
“法を誤る” とは、「本来戒めるべき荒猛心を褒めて喜んだこと」 をいいます。


経 (たて)
この場合は 「国家統治の根幹・統治制度」 をいいます。
ソサノヲは “シムの幹” と呼びました。

 上下に振る 吾が実のかさゆ シムの幹 三千日挟まで あらぶるおそれ 〈ホ9-3〉


■捩く (もぢく)
モヂル(捩る)ネヂル(捻る)ネヂク(拗く) などと同義で、
「曲る/曲げる・ゆがむ/ゆがめる」 などが原義です。


■とこやみ (▽篤病み・▽特病み)
トコは トク(研ぐ・磨ぐ)の名詞形で、トク(篤・特)・トキ(鋭) の変態です。
「高まるさま・激しいさま」 を表します。ヤミ(病み)は 「曲り・逸れ・異常」 が原義です。
ですから 「いちじるしく異常なさま・重篤・危篤」 を表します。


■傾 (なんだ)
ナンダは ナダの音便で、「難」 「涙」 「傾」 の3種の意味がありますが、
このナダは ナダル(傾る)の名詞形で、「かたむき・曲り・ゆがみ」 を意味します。

 ★傾る (なだる)
 ナヅ(撫づ)タル(垂る) の短縮で、「撫でるように下る」 という原義です。


和す (やわす)

■三種の器法 (みくさのうつわのり)
マス鏡」 の換言です。
“悪事を働くと本人の心(神性)が身体に報いを返す” という、人間に備わる自浄システムです。

 三種の器は @ 陽陰和る文 A 鏡 (明暗見) B 剣 の3種ですが、
 陽陰=日月=魂魄=霊=神=実=中子=心  であるため、@とAは
 「陽陰の和合=魂魄の結合=心」、Bは 「報い・罰・制裁・槌」 の意に
 考えることができます。意味をつなぐと 「心の報い・心の制裁」 となり、
 これはさきに出てきた 陽陰の報ひ、陽陰が槌 と同じです。

 ・陽陰の報ひは 盗めるも 謗るも打つも 身に返る 〈ホ17-3〉
 ・その時は 痛き報ひも あらざれど 後の病ふは 
陽陰が槌 〈ホ17-3〉

 

【概意】
以前すでに、法を誤るマスヒトが荒猛の臣を褒めれば、鋭利が過ぎてねぢけ、
ついにはよこしまが経をもゆがめた。危篤な曲りを直してようやくに鎮めたが、
これも三種の器法 (人に備わる自浄システム) がなかったら、どうにもならなかったろうよ。

 

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 かねておもえは ますかかみ あおひとくさも すくとなる
 ひとにおけらは かきりなし なかくつちかふ をしゑなすへき

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 兼ねて思えば マス鏡 青人草も 直ぐとなる
 人におけらば 限り無し 長く培ふ 教えなすべき

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■兼ねて思ふ (かねておもふ)
「重ねて思う・つくづく考える・よくよく思う」 などの意です。


マス鏡 (ますかがみ)

青人草・青人種 (あおひとくさ)

■直ぐとなる (すぐとなる)
ハタレマの 「曲りが直る・人間にもどる」 という意味です。
これは邪霊に干渉されて、六ハタレの手先となってしまった民も、
霊を濯いでマフツの鏡 (マス鏡のモノザネ) に映すと、“人となる” ことをいいます。

・ここにハタレの 血を絞り 誓ひ留めて 潮 浴び
 影映す時 六十万人 
人なるは皆 民となる 〈ホ8-7〉
・すべて七マス 九千みな 人なる法の 御鏡を  セオリツ姫の 持ち出でて
 後のハタレの 
人となる  マフツの鏡 見るために “フタミの岩” と 名づけます 〈ホ8-8〉


■人 (ひと)
この “人” は、“青人草” に対するもので、「君と臣」 をいいます。

 

【概意】
つくづく思えば、青人草さえ直ぐとなるマス鏡 (人に備わる自浄システム) ゆえ、
人においては可能性は無限。長く培う (急がずたゆまずの) 教えをなすべき。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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