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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第124回 [2024.2.26]

第二三巻 衣定め 剣名の文 (7)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 みはさだめつるぎなのあや (その7)
 衣定め 剣名の文 https://gejirin.com/hotuma23.html
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 ときにまた おおものぬしか もふさくは
 はたれやふるの なおもかな
 とえはあまてる みことのり

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 時にまた オオモノヌシが 申さくは
 「ハタレ破るの 名をもがな」
 問えば和照る 御言宣

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■ハタレ破るの名 (はたれやぶるのな)
カナサキ六将守が アマテルより賜って
「六ハタレを破った “ヤヱガキの剣” の名の意味」 ということだと思います。

 後にハタレが 乱る時 カナサキおよび 六将守 剣 賜わり ハタレ打ち 〈ホ23ー6〉


もがな

和照る御言宣 (あまてるみことのり)

 

【概意】
時にまたオオモノヌシが申すには、
「六ハタレを破ったヤヱガキの意味を乞い申す。」 
問えば 和して照らす御言宣。


 クシヒコは、今ほどアマテルが説いた “我が身のためのヤヱガキ” と、
 六ハタレを破った武器である “ヤヱガキの剣” のヤヱガキとは、
 意味が別なのか?と思って、この質問をしたものと考えられます。

 

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 はたれかわさは ちかつけす ゆみやにやふり
 ちかつけは たちうちはらふ みのかきそ

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 「ハタレが禍は 近付けず 弓矢に破り
 近付けば 太刀打ち払ふ 身の垣ぞ」

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禍・災 (わざ)
「触り・差し支え・障害」 などの意で、この場合は 「汚穢」 と同じです。


■太刀・断ち (たち)
タツ(断つ)の名詞形で、「断つもの・さえぎるもの・遮断するもの」 をいい、
ホコ(矛)・ツルギ(剣) の別名です。


■打ち払ふ (うちはらふ)
汚穢を “打ち払ふ物” という、タチ(断ち・刀) の語義を説明しています。


■身の垣 (みのかき)
我が身のためのヤヱ” と同じです。

 

【概意】
「ハタレの汚穢は まずは近付けぬこと。よって弓矢に破る。
そしてもし近付いた場合には、太刀を打ちて払う。
<ゆえに太刀は> 汚穢を断つ身の垣ぞ。」


 太刀(=剣・矛)は 攻撃の武器ではなく、身の垣であるということから、
 おそらく タテ(盾)は タチ(太刀)の変態、つまり元来は同一と考えます。
 その思想によるものか、ホツマに盾についての記はなく、後世の武士も
 盾を持つ慣わしがありません。

 

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 またとふやたみ おさむれは やたなはいかん
 みことのり かかみはたみの こころいる いれものなれは
 やたかかみ つるきはあたお ちかつけす

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 また問ふ 「ヤタミ 治むれば “ヤタ” 名は如何ん」
 御言宣 「カガミは民の 心入る 入れ物なれば
 ヤタ明暗見 剣は仇を 近付けず」

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ヤタミ (八民)

ヤタ鏡・ヤタ明暗見 (やたかがみ)
「民の心(=魂魄)を映すもの」 という意です。 ▶心・魂魄

 径 ‘タ’ の円鏡 当てて八尺身の 心 入る “ヤタの明暗見” の 名による名 〈ホ17ー1〉


■仇 (あだ)
アツ(当つ)の名詞形で、「当たるもの・敵対するもの・障り」 などを意味します。
これも 汚穢(をゑ・やゑ)、禍(わざ) の換言です。

 

【概意】
また問う。<自分はオオモノヌシとして>
「ヤタミを治めておりますれば、ヤタのカガミの名の "ヤタ" とはいかに?」
御言宣。
「カガミは民の心を入れる入れ物なれば “ヤタ明暗見”。
剣は 汚穢を近付けぬ垣(=ヤヱ垣)である。」

 

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 またとふかきの やゑいかん 
 きみにこゑみて のたまふは いしくもこえり それやゑは
 むかしふたかみ くにしらす ものいふみちの あわうたの
 あはあめとちち わはははそ やはわかみなり

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 また問ふ 「垣の “ヤヱ” 如何ん」
 君 にこ笑みて 宣給ふは 「美しくも乞えり それ ”ヤヱ” は
 昔 二尊 国領らす 物いふ道の アワ歌の
 ‘ア’ は天と父 ‘ワ’ は母ぞ ‘ヤ’ は我が身なり」

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美し (いし)
ヨシ(好し)・ハシ(愛し) などの変態で、「好ましい・いとおしい・かわいい」 などの意です。


■ヤヱ
ヤヱは 一つにはヲヱ(汚穢)の変態で、「曲り・穢れ」 の意です。
しかしこれから説かれるのは別の意味です。


■国領らす (くにしらす)
「国を治める」 という意ですが、これは次の “物いふ道のアワ歌” にかかります。
つまり 「二尊が国を治めるのに用いた、物いふ道のアワ歌」 という意です。


■物言ふ道/物結ふ道 (ものいふみち)
イフは ユフ(言ふ結ふ)の変態で、ここでは2つの意が重なります。
「物を言う道」 と 「物を結ぶ道・物を生む道」 です。


■アワ歌 (あわうた)
二尊は “天のアワ歌” によって 国と万物を生み、
地のアワ歌” によって 民の言葉を調えて国家を治めます。

・二尊の 天のアワ歌に 国を生み 地のアワ歌に 音声和る 〈ミ1-4〉
に音声の 道 開け 民の言葉の 調えば 〈ホ5-1〉
とつぎして 実柱回り アワ歌を 詠みてオノコロ 万物を 生みし 〈ホ18-1〉


■ア ■ワ ■ヤ
は 「上・陽・天・父」、は 「下・陰・地・母」 を意味します。
は ヤフ(▽和ふ・▽結ふ) の名詞形 ヤワ(和)の略で、「和合・結び・中」 などを原義とし、
この場合は アとワ(陽と陰・魂と魄)が和合して生ずる 「人間」 をいいます。

 この3つを17アヤでは カミ(上)・ハニ(埴)・シハカミ(地上) と、
 ミカサの1アヤでは ア(陽)・ワ(陰)・ト(人) と表現しています。

・陽陰の心に 見るば 上・埴と地上 この味を 人の身に領る 〈ホ17ー9〉
陽陰 人に知れる 人の身の “四つを謹む 機の道” 〈ミ1-2〉


■我が身 (わがみ)
ここでは 「人の身・人間」 という意です。

 

【概意】
また問う。「ヤヱ垣の “ヤヱ” の意はいかに?」
君 にこ笑みて宣給うは、「愛しくも乞うなり。それ “ヤヱ” は、
昔 二尊が国を治めるに用いた、物を言う道/物を結う道のアワ歌。
その ‘’ は 天と父、‘’ は 母ぞ。‘’ は 人の身である。」

 

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 このあわや のとよりひひく はにのこえ
 くにおしらする たねなれは あわはあわくに
 やはやもの あおひとくさの なもやたみ

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 「この ア・ワ・ヤ 喉より響く 埴の声
 国を領らする 種なれば ‘アワ’ はアワ国
 ‘ヤ’ は八方の 青人草の 名も ヤタミ」

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■喉より響く埴の声 (のどよりひびくはにのこえ)
“喉より響く” とは 「口先で発する音ではない」 ということで、
“埴の声” とは 「地(ぢ)の声・基礎となる声」 です。したがって 「母音」 を意味します。
‘ワ’ はウアの短縮音、‘ヤ’ はイアの短縮音ですから、いずれも母音(二重母音)です。

 ア・ワ・ヤ は 埴の声 (地の声)ゆえに、“国(=地)を領らす種” だということでしょう。


アワ国 (あわくに:▽陽陰国・▽和国)
中国の別名です。二尊はここにオノコロ(都・中央政府)を得て、
アワ歌によって民の言葉を調えた結果、和の道が通ったことによる名です。

 ★アワ・アメ (▽陽陰/▽和)

 歌に音声の 道 開け 民の言葉の 調えば 中国の名も アワ国や  〈ホ5ー1〉


青人草・青人種 (あおひとくさ)

■ヤタミ
「八方の民」 を意味しますが、ここでアマテルはさらに別の意味を与えており、
次段にてそれが示されます。

 

【概意】
「この ア・ワ・ヤは 喉より響く地の声(=母音)であり、
国を統べ治める基礎なれば、‘アワ’ は 中心のアワ国。
‘ヤ’ は 八方(ヤモ)の青人草をいい、その名もヤタミである。」

 

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 やはいえゐなり たはをさむ みはわかみなり
 あわくにの やにいてやしま しらすれは
 やはやつならす ももちよろ かさぬるふしの やえかきそ

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 「‘ヤ’ は家居なり ‘タ’ は治む ‘ミ’ は我が身なり
 アワ国の 家に率て八州 領らすれば
 ヤは八つならず 百千万 重ぬる節の “和合垣” ぞ」

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■‘ヤ’ は家居 (やはいえゐ)
ヤタミの 「ヤは “家居” の意である」 という意味です。
イエヰ(家居・▽結合)は この場合は 「・和合・調和」 を意味します。

 ★家居 (いえゐ・いゑゐ・ゐゑゐ)・家 (いえ・いゑ・ゐゑ)・居屋 (いや・ゐや)・屋 (や)
 イエヰは イユ(▽結ゆ)+ヱユ(▽合ゆ) の短縮 “イヱユ” の名詞形で、
 「和合・結合・結束・調和」 などが原義です。
 イユ(▽結ゆ)の名詞形が イヱ(家)イヤ(居屋)、イヤの短縮が ヤ(屋・家)です。


■‘タ’ は治む (たはをさむ)
ヤタミの 「タは “治める” の意である」 ということです。
タは タス(▽治す・足す・▽助す)の名詞形で、「足らし助けて調える」 ことを意味し、
ヲサム(治む)と同義です。


■ミは我が身 (みはわがみ)
ヤタミの 「ミは “人の身” の意である」 ということです。


 したがってここでアマテルのいうヤタミは、ヤ(家・和)+タ(治)+ミ(身) で、
 「家/和を治す身」 という意です。これまでのヤタミの意 (八方の民) と合わせると、
 「八方の民は 家/和を足らし助けて調える身」 の意となります。
 “家/和” は、個々の 「心の調和」 の意と、「国の和・国家」 の意が重なります。


■アワ国の家 (あわくにのや)
このヤ(家)は 「家屋・住居」 の意で、「オノコロのヤヒロの殿」 をいいます。
すなわち当時の 「中央政府の総本庁」 です。

 あしはらに オノコロを得て ここに降り ヤヒロの殿と 中柱 立てて恵れば
 大八州 通る真の トの教え 〈ホ23-1〉


率る・将る (いる)
イル(入る)と同源で、「合わす・まとめる・纏る・統べる・治める」 などの意です。


■八州 (やしま)
ヤスミ(八隅)の変態で、ヤモ(八方)と同義です。
「すべての方角・国家全土・全国」 を意味します。


■節 (ふし)
フサ(房・総)の変態で、この場合は 小さな物の 「まとまり・集合・結束」 を意味します。


■和合垣・家重垣 (ヤエガキ)
“ヤ” は 「和合・調和」、“エ” は 「合わせ・重ね・連ね・つなぎ」 を意味します
ヤタミ(和を治す身である全国民)の、個々の 「心の調和を連ねた垣」 という意です。

 通常は “ヤガキ” と表記されますが、ここでは 「八重垣」 の意ではないことを
 強調するため “ヤガキ” と記しているようです。

ヤヱ垣は 「汚穢(=曲り)を防ぐ垣」 を意味するわけですが、その垣は
「全国の民の 個々の心の調和を連ねてつくる」 ということを言ってます。
そして民の心の調和は、臣の “トの教え” が生み育てるという点が重要です。

 

【概意】
「またヤタミの ‘ヤ’ は 和。‘タ’ は 治める。‘ミ’ は 人の身である。
<しかれば八方の民は それぞれが “和を治める身” でもある>
君が アワ国の家(=中央政府の本庁)に統括して、八州の民を治めるならば、
ヤヱの ‘ヤ’ は 八ではなく、百千万の和を連ねた房の “和合垣” ぞ。」


 和合垣は 「全国民の個々の心の調和を結束して造る汚穢の垣」 という意味で、
 個人の心の調和を 国家の調和の細胞とする、ということです。
 これは “源を正さずして全体は治まらぬ” という理念に基づくもので、
 実現すれば 最強無双の 国家の汚穢(=曲り)を防ぐ防壁 となります。

 これ源を 正さねば 大水なして 防がれず これ領らずんば 治まらぬなり〈ホ23-3〉

 

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 ときにものぬし ゑみいわく むかしものぬし たまわりて
 ふかくおもえと またとけす いまやふやくに これおしる
 これやゑかきは もののへの ななりとおのか をにこたゆ
 てれはすへらの よよのかき おのかをなりと ちかいなす

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 時にモノヌシ 笑み曰く 「昔モノヌシ 賜わりて
 深く思えど まだ解けず 今ようやくに これを知る
 これ “ヤヱガキ” は モノノベの 名なりと己が 央に応ゆ
 てれば統べらの よよの垣 己が央なり」 と 誓いなす

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■モノヌシ
2代オオモノヌシの クシヒコ (=ヲコヌシ) です。


■ヤヱガキ (和合垣/汚穢垣)
和合垣” と ”汚穢垣” の両意を合せて、
「全国民の個々の心の調和を結束してつくる、国家の汚穢を防ぐ垣」 という意です。

 国民の個々の心の調和は、モノノベ(=臣)の "トの教え" が育成するため、
 モノノベはヤヱガキの基盤だといえます。


■央に応ゆ (をにこたゆ)
ヲ(央)は 「中心・本源・本分・心・肝」 などを意味します。
コタユ(応ゆ)は 「反応する・共鳴する・響く」 などの意です。
ですから 「心を打つ・心に響く」 などの意となります。


てれば (照れば)

■統べらのよよの垣・皇のよよの垣 (すべらのよよのかき)
「国家の和を守るときわの垣」 というような意です。

 ★統べら・皇 (すべら・すめら)
 スベル(統べる)の名詞形で、「統・結・和・治め」 などが原義で、
 「国家を統べ治めること/人」 をいいます。

 ★よよの垣 (よよのかき)
 「延々と続く垣・常なる垣・常磐の垣」 などの意です。 ▶よよ

国家の和の根本は 「個々の国民の心の調和」 にあるわけですから、
それを守る垣ということになります。それは連綿と倦むことなく
民にト(調)を教えてトの道を守ること、これに尽きるわけです。

・臣ら ひめもす 倦まなくて 教えを常の 業となせ  〈ホ17-2〉
・物知るとても 蠢かで 調の導きに 入らざらんをや 〈ホ17-2〉

 

【概意】
時にモノヌシは笑み曰く、
「昔モノヌシの職を賜わって、深く考えてもまだ解けず、今ようやくこれを知る。
“ヤヱガキとはこれ モノノベの名である” と我が心に響く。それに照らせば、
国家の和を守るときわの垣となること、これこそが我が本分なり」 と誓いを立てる。

 

本日は以上です。それではまた!

 

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