タチバナ

→ 語義

橘。 =カグの木。 
クニトコタチ
の御代の木。トコヨの木。
「橘を植える」とは「トコヨの道(クニトコタチの時代の優れ栄える世の道)を布く」ということを意味する。

■トコヨの神は橘をどこから持ち来たったのだろう。日本に土着の木ではなさそうだ。南方を暗示するように思う。
『橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹』万葉集六 聖武天皇

植えて 生む御子の タカミムスビを 諸 称ゆ 東のトコタチ2文
ツクシに御幸 を 植えてトコヨの 道 成れば 諸神 受けて 民を治す』5文
ソサに来たりて 宮 造り 静かに居ます キシヰ国  植えて トコヨ里5文
『南の殿に  植えて 橘の宮  東に 植え 大内宮6文
『ハタレ むせんで 適わして  霰に 飛み 攻める 味方 領巾 着て  入れて 棄ちこぼさせば』8文
初日祭は ふと環 山の・栗 海の布も トコロ 芋頭 シムの節会は 足る睦み』ミ9文

 

タチバナノキミ・カグキミ

橘の君。 
カクヤマズミ
の第五子マウラアスカ川サガムの小野に写して新田を成し、橘の木を植えて初代の『タチバナの君』となって以来、代々この名を名乗った。 タチバナモトヒコもこれ。

★川崎の歴史は古い、中でも宮前区有馬から中原区一帯は、いにしえから橘樹(たちばな)と呼ばれる地域で、この橘樹という地名も大変古く、日本書紀の安閑天皇元年(西暦534年)条に、国造の地位をめぐる争いの中で橘花が記述されている程です。 橘・立花・橘花・橘樹と長い時間の中でその形を変えながらも、昭和12年の市との合併に至るまで、1500年に及ぶ長いあいだ、その地名は使われてきました。
★後の10世紀頃まで、武蔵国相模国の古代産業として、橘があった事が各資料よりわかっています。 また、天平13年に創建されたといわれる武蔵国分寺(国指定史跡)からは、「」と陰刻印などの入った瓦が多数出土しています。 その他にも、万葉集では浦島太郎が行った竜宮城は常世と記されていて、神奈川区には今も浦島寺があり、浦島太郎のゆかりの品々や伝説等が残されております。
★川崎市高津区子母口の立花神社(現橘樹神社)は弟橘媛倭建命(日本武尊)の二神が祀られており、富士見台古墳が出来たとの説がある景行天皇三十年の後に拝殿として作られたといわれている。
★日本書紀内・安閑天皇元年に武蔵国橘花が国造の地位をめぐる争いで登場する。
この記述より文献上において武蔵国橘花の名は、実に1500年にも及ぶ長い間使われてきた事が分かる。
★安閑天皇十年、梁の人持参せる仏像を、橘氏を以って武蔵国橘花橘陵に御堂を建立安置せしむ。

アスカ川 オオヤマスミは これ 写し サカムの小野に 新田 成し の木 植えて マウラ守 代々 "橘の君" となる』24文
『遺し文 御子 見給ひて 橘君が ハナタチバナは が妻 オシヤマ 遣りて 呼ばしむる』37文

 

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