※29文〜40文は、地名については原義と異なると思われる場合でも、現在一般に使用されている漢字で表記しています。
【原文カタカナ訳】 【語源考察】 【漢字読み下し】
トリアワセタチハナノアヤ とりあわせたちはなのあや 鶏合せ 橘の文 タマキミヤ フソナホハツキ たまきみや ふそなほはつき 珠城宮 二十七年八月 (垂仁天皇) (天鈴715年) ナカヲミト イクサウツワオ なかをみと いくさうつわお 七日 ヲミト 兵器を ミテクラニ ウラトエハヨシ みてくらに うらとえはよし 幣に 占問えば 吉 ユミヤタチ モロノヤシロニ ゆみやたち もろのやしろに 弓・矢・太刀 諸の社に ヲサメシム カンヘサタメテ をさめしむ かんへさためて 納めしむ 神部 定めて ヨリヨリニ ウツワニマツル よりよりに うつわにまつる 度々に 器に祭る ハシメナリ はしめなり 初めなり
フソヤホカンナ ふそやほかんな 二十八年十月 (天鈴716年) ヰカマカル アニヤマトヒコ ゐかまかる あにやまとひこ 五日 罷る 兄 ヤマトヒコ ネツキフカ オモムロオクル ねつきふか おもむろおくる 十一月二日 骸 送る ツキサカニ ハヘルヒトラオ つきさかに はへるひとらお 築坂に 侍る人等を イキナカラ ウツメハサケヒ いきなから うつめはさけひ 生きながら 埋めば叫び ツヒニカル イヌトリハムオ つひにかる いぬとりはむお 終に枯る 犬・鳥 食むを キコシメシ アワレニオホス きこしめし あわれにおほす 聞こし召し 哀れに思す ミコトノリ イキオメクマテ みことのり いきおめくまて 御言宣 「生きを恵まで カラスルハ イタマシヒカナ からするは いたましひかな 枯らするは 痛ましいかな フルノリモ ヨカラヌミチハ ふるのりも よからぬみちは 古法も 好からぬ道は ヤムヘシソ やむへしそ 止むべしぞ」
ミソホハツムカ みそほはつむか 三十年一月六日 (天鈴718年) ミコトノリ ミコヰソキネト みことのり みこゐそきねと 御言宣 御子 ヰソキネと タリヒコト ノソムトコロオ たりひこと のそむところお タリヒコと 「望む所を モフスヘシ ヰソキネイワク もふすへし ゐそきねいわく 申すべし」 ヰソキネ 曰く ユミヤヱン タリヒコイワク ゆみやゑん たりひこいわく 「弓矢 得ん」 タリヒコ 曰く クライヱン キミフタミコノ くらいゑん きみふたみこの 「位 得ん」 君 二御子の ノソムママ ユミヤタマワル のそむまま ゆみやたまわる 望むまま 弓矢 賜わる アニノミヤ オトハクライオ あにのみや おとはくらいお 兄の宮 「弟は位を ツクヘシト つくへしと 継ぐべし」と
ミソフホフツキ みそふほふつき 三十二年七月 (天鈴720年) ムカマカル キサキヒハスノ むかまかる きさきひはすの 六日 罷る 后 ヒハスの ミオクリハ モロトミメシテ みおくりは もろとみめして 御送りは 諸臣 召して ミコトノリ サキノオヒカレ みことのり さきのおひかれ 御言宣 「先の追枯 ヨカラネハ コノオコナヒハ よからねは このおこなひは 好からねば この行ひは イカニセン ノミノスクネカ いかにせん のみのすくねか 如何にせん」 ノミのスクネが モフサクハ イケルオウツム もふさくは いけるおうつむ 申さくは 「生けるを埋む タメシトハ アニヨカランヤ ためしとは あによからんや 例しとは あに良からんや ハカラント イツモノハシヘ はからんと いつものはしへ 図らん」と 出雲の埴仕侍 モモメシテ ハニテコオヨヒ ももめして はにてこおよひ 百 召して 埴偶および クサクサノ カタチツクリテ くさくさの かたちつくりて 種々の 形 造りて タテマツル イマヨリノチハ たてまつる いまよりのちは 奉る 「今より後は ハシモノオ イケルニカエテ はしものお いけるにかえて 埴仕物を 生けるに代えて ミササキニ ウエテタメシト みささきに うえてためしと 御陵に 埋えて例しと ナスヘシヤ キミヨロコヒテ なすへしや きみよろこひて 成すべしや」 君 喜びて ミコトノリ ナンチカハカリ みことのり なんちかはかり 御言宣 「汝が図り ワカココロ ヨシトハニワノ わかこころ よしとはにわの 我が心 好し」と 埴生の タテモノオ ノチノタメシト たてものお のちのためしと 奉物を 後の例しと サタマリテ ノミノスクネオ さたまりて のみのすくねお 定まりて ノミのスクネを アツクホメ カタシトコロオ あつくほめ かたしところお 篤く褒め 鍛し所を タマワリテ ハシノツカサソ たまわりて はしのつかさそ 賜わりて 埴仕の司ぞ
ミソミトシ ミワノタタネコ みそみとし みわのたたねこ 三十三年 ミワのタタネコ (天鈴721年) ヤマシロカ タチニイタレハ やましろか たちにいたれは 山背が 館に到れば (山背国造) サラストフ ムスメヒトリオ さらすとふ むすめひとりお サラス 問ふ 「娘 一人を (大国サラス) ミヤニコフ タレニヤリテモ みやにこふ たれにやりても 三家に乞ふ 誰に遣りても フハウラム コメサシタマヘ ふはうらむ こめさしたまへ 二は恨む 極め 指し給へ」 コタエイフ アスカモカミノ こたえいふ あすかもかみの 答え言ふ 「明日 賀茂神の (タタネコ) ミマエニテ コメサタメント みまえにて こめさためんと 御前にて 極め定めん」と トモニユク ミヲヤノカミニ ともにゆく みをやのかみに 共に行く 御祖の神に (タタネコとサラス) (河合宮) ニキテナシ タテマツルワカ にきてなし たてまつるわか 和幣 成し 奉る ワカ (和歌)
アメツチノ ミヨノサカエオ あめつちの みよのさかえお 『天地の 弥の栄えを イワハルル メヲノミヲヤノ いわはるる めをのみをやの 祝はるる 夫婦の御祖の (尊敬) (ウガヤとタマヨリ姫) カミソタフトキ かみそたふとき 神ぞ貴き』
トキニカミ ツケノミウタニ ときにかみ つけのみうたに 時に神 告げの御歌に
ヨノナカニモノオモフヒトノ よのなかにものおもふひとの 『世の中に もの思ふ人の アリトイフハワレオタノマヌ ありといふはわれおたのまぬ 有りと言ふは 我を頼まぬ ヒトニソアリケル ひとにそありける 人にぞありける』
カミウタオ キキテタタネコ かみうたお ききてたたねこ 神歌を 聞きてタタネコ イワクコレ マヨフユエナリ いわくこれ まよふゆえなり 曰く「これ 迷ふ謂なり イマヨリソ モモカモフテテ いまよりそ ももかもふてて 今よりぞ 百日 詣でて キタリマセ ワレハカラント きたりませ われはからんと 来たりませ 我 図らん」と ユクキフネ タタネコカウタ ゆくきふね たたねこかうた 行く 貴船 タタネコが歌
アワウミノ アツミノカミト あわうみの あつみのかみと 『央海の 安曇の神と スミノヱモ トモニキフネノ すみのゑも ともにきふねの スミノヱも 共に貴船の マモリカミカナ まもりかみかな 守り神かな』
カモニユキ ワケイカツチノ かもにゆき わけいかつちの 賀茂に行き ワケイカツチの (別雷宮) カミモマタ ニキテトワカト かみもまた にきてとわかと 神もまた 和幣とワカと
ヒトクサオ ワケイカツチノ ひとくさお わけいかつちの 『人草を ワケイカツチの マモルユエ ミヨハオサマル まもるゆえ みよはおさまる 守る故 御世は治まる カモノカンカセ かものかんかせ カモの神風』
タタネコハ シルシササケテ たたねこは しるしささけて タタネコは 璽 捧げて [カエリモフサク] [かえりもふさく] [帰り申さく] カモノミヤ アルルオフシテ かものみや あるるおふして 「賀茂の宮 粗るるを伏して (河合・別雷両宮) オモミレハ カモトイセトハ おもみれは かもといせとは 思みれば 賀茂と伊勢とは (ニニキネ)(アマテル) (ウガヤ) ミヲヤナリ ステニヤフレテ みをやなり すてにやふれて 上祖なり 既に破れて イツホソシ マモリホソキハ いつほそし まもりほそきは 稜威 細し 守り細きは オトロヒカ キミキコシメシ おとろひか きみきこしめし 衰ひか」 君 聞こし召し タタネコカ マコクラマロオ たたねこか まこくらまろお タタネコが 孫 クラマロを イワヒヌシ ナモオオカモト いわひぬし なもおおかもと 斎主 名もオオカモと (大鴨積命) カモヤシロ サラニツクラセ かもやしろ さらにつくらせ 賀茂社 新に造らせ ネツキモチ ミヲヤワタマシ ねつきもち みをやわたまし 十一月十五日 御祖 渡坐し (ウガヤ)(賀茂御祖神社) アスソムカ ワケイカツチノ あすそむか わけいかつちの 翌十六日 ワケイカツチの ミヤウツシ オオタタネコオ みやうつし おおたたねこお 宮遷し オオタタネコを (賀茂別雷神社) サオシカノ ニキテオサムル さおしかの にきておさむる 直御使の 和幣 納むる
ツキノトシ カモニミユキノ つきのとし かもにみゆきの 次の年 賀茂に御幸の (天鈴722年) ミチツクリ サラニウチハシ みちつくり さらにうちはし 道作り サラに打橋 (佐保川) ツクリキノ キツハカリハシ つくりきの きつはかりはし 作り木の 木津は仮橋 (木津川) ヤヨヒハヒ ヤソトモソロエ やよひはひ やそともそろえ 三月初日 八十供 揃え ミヤコテテ タマミツヤトリ みやこてて たまみつやとり 都 出て 玉水 宿り フカカアヒ ミテクラオサム ふかかあひ みてくらおさむ 二日 河合 幣 納む ミヲヤカミ ヤマシロフチカ みをやかみ やましろふちか 御祖神 山背フチが (賀茂御祖神社) (山背国造) ミアエナス ミカキフネヨリ みあえなす みかきふねより 御饗なす 三日 貴船より カモニユキ ワケイカツチノ かもにゆき わけいかつちの 賀茂に行き ワケイカツチの (賀茂別雷神社) オホカミニ ミテクラオサメ おほかみに みてくらおさめ 大神に 幣 納め カモスミカ ニイトノマエニ かもすみか にいとのまえに カモスミが 新殿前に (大鴨積命) トリケアフ キミタノシメハ とりけあふ きみたのしめは 鶏 蹴合ふ 君 楽しめば (鶏合せ) ワランヘカ イロヨキトリオ わらんへか いろよきとりお 童んべが 色 良き鶏を ホメイワク イヨカマハタヨ ほめいわく いよかまはたよ 褒め曰く 「いよ カマハタよ」 キミトケス マテニトフイマ きみとけす まてにとふいま 君 解けず 左右に問ふ「今 ワランヘカ カマハタハナニ わらんへか かまはたはなに 童んべが カマハタは何」 イワクコレ ハヤリウタナリ いわくこれ はやりうたなり 曰く「これ 流行り歌なり オホクニカ ムスメカマハタ おほくにか むすめかまはた 大国が 娘 カマハタ (大国サラス) ウツクシク アメニカカヤク うつくしく あめにかかやく 美しく 大に輝く コレナツク ヨカウチニユク これなつく よかうちにゆく これ名付く」 四日 宇治に行く (山城の宇治) ミチスカラ ヨキヒトエンハ みちすから よきひとえんは 道すがら 「好き人 得んば シルシアレ ホコトリイノリ しるしあれ ほことりいのり 徴 あれ」 矛 取り 祈り オホカメオ ツケハナルイシ おほかめお つけはなるいし 大亀を 突けば 成る石 コレシルシ ウチノカメイシ これしるし うちのかめいし これ 徴 宇治の亀石 カエルノチ サラスカムスメ かえるのち さらすかむすめ 帰る後 サラスが娘 (大国サラス) ヨヒノホセ カマハタトヘオ よひのほせ かまはたとへお 呼び上せ カマハタトベを キサキトシ イワツクワケノ きさきとし いわつくわけの 后とし イワツクワケの (内宮) ミコオウム イムナトリヒコ みこおうむ いむなとりひこ 御子を生む 斎名 トリヒコ フチカメノ カリハタトヘモ ふちかめの かりはたとへも フチが女の カリハタトベも (山背フチ) ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ みをやわけ ゐいしたりひこ ミヲヤワケ ヰイシタリヒコ ヰタケワケ ミタリウムナリ ゐたけわけ みたりうむなり ヰタケワケ 三人 生むなり
ミソヰホノ ナツキヰソキネ みそゐほの なつきゐそきね 三十五年の 九月 ヰソキネ (天鈴723年) タカイシト チヌノイケホル たかいしと ちぬのいけほる 高石と 茅渟の池 掘る (河内の高石) メツキホル サキトアトミト めつきほる さきとあとみと 十月 掘る 狭城と迹見と モロクニニ ヤモノイケミソ もろくにに やものいけみそ 諸国に 八百の池溝 ツクラシム ナリワヒフエテ つくらしむ なりわひふえて 造らしむ 成生 増えて タミトメル たみとめる 民 富める (「富む」の連体形)
ミソナホハツヒ みそなほはつひ 三十七年 初日 (天鈴725年)(元日) ヲミヱタツ タリヒコハソヤ をみゑたつ たりひこはそや ヲミヱ 立つ タリヒコは十八 (他動詞) ヨツキミコ よつきみこ 世嗣御子
ミソコホメツキ みそこほめつき 三十九年十月 (天鈴727年) ヰソキネハ ウチミテツクル ゐそきねは うちみてつくる ヰソキネは 打ちみで造る (鍛造) (⇔鋳造る) チツルキオ アカハタカトモ ちつるきお あかはたかとも 千剣を "アカハタカ" とも ナオツケテ オシサカニオク なおつけて おしさかにおく 名を付けて 忍坂に置く コノトキニ シトリヘタテヘ このときに しとりへたてへ この時に シトリ侍 タテ侍 オホアナシ ユミヤハツカシ おほあなし ゆみやはつかし オホアナシ 弓・矢・刃造仕 タマヘカミ アマノオサカヘ たまへかみ あまのおさかへ 尊瓮守 天のオサカ侍 チノヘキヘ タチハカセヘノ ちのへきへ たちはかせへの 地のヘキ侍 タチハカセ侍の トシナヘオ アハセタマワル としなへお あはせたまわる 十品侍を 合わせ賜わる ニシキミコ チツルキウツス にしきみこ ちつるきうつす ニシキ御子 千剣 移す イソノカミ カミカカスカノ いそのかみ かみかかすかの 石上 神が春日の (争の込) (春日県主) イチカワニ ツケオサメシム いちかわに つけおさめしむ イチカワに 告げ 納めしむ ニシキミコ ツカサトナセル にしきみこ つかさとなせる ニシキ御子 司となせる <イチカワ (「なす」の連体形) を石上の>
ムソヨトシ サミタレヨソカ むそよとし さみたれよそか 六十四年 五月雨 四十日 (天鈴752年) フリツツキ イナタミモチニ ふりつつき いなたみもちに 降り続き 稲田 みもちに イタミカル キミニモフセハ いたみかる きみにもふせは 傷み枯る 君に申せば ミツカラニ カセフノマツリ みつからに かせふのまつり 自らに カセフの祭 ナシマセハ ヤハリワカヤキ なしませは やはりわかやき なしませば やはり若やぎ ミツホナル カエリモフテノ みつほなる かえりもふての 瑞穂 成る 返り詣での ホツミオモ ミツカラマツリ ほつみおも みつからまつり 果実をも 自ら祭り (果実の祭) タマフユエ クニユタカナリ たまふゆえ くにゆたかなり 給ふ故 国 豊かなり
ヤソナホノ キサラキヰカニ やそなほの きさらきゐかに 八十七年の 二月五日に (天鈴775年) ニシキミコ イモトニイワク にしきみこ いもとにいわく ニシキ御子 妹に曰く ワレヲヒヌ ミタカラモレヨ われをひぬ みたからもれよ 「我 老ひぬ 御宝 守れよ」 (千剣) ヲナカヒメ イナミテイワク をなかひめ いなみていわく ヲナカ姫 辞みて曰く タオヤメノ ホコラタカクテ たおやめの ほこらたかくて 「嫋女の 祠 高くて」 マタイワク タカケレハコソ またいわく たかけれはこそ また曰く 「高ければこそ ワカツクル カミノホコラモ わかつくる かみのほこらも 我が造る 神の祠も (争の神) カケハシノ ママトウタエハ かけはしの ままとうたえは 懸梯の まま」と訴えば ヲナカヒメ モノヘトチネニ をなかひめ ものへとちねに ヲナカ姫 モノベトチネに マタサツク タニハミカソカ またさつく たにはみかそか また授く 丹波ミカソが <懸橋を> イヱノイヌ ナハアシユキカ いゑのいぬ なはあしゆきか 家の犬 名はアシユキが クヒコロス ムシナノハラニ くひころす むしなのはらに 食ひ殺す 狢の腹に ヤサカニノ タマアリオサム やさかにの たまありおさむ ヤサカニの 珠あり 納む イソノカミ いそのかみ 石上
ヤソヤフミソカ やそやふみそか 八十八年 七月十日 (天鈴776年) ミコトノリ ワレキクムカシ みことのり われきくむかし 御言宣 「我 聞く 昔 シラキミコ ヒホコカツトノ しらきみこ ひほこかつとの 新羅御子 ヒボコが苞の タカラモノ タシマニアルオ たからもの たしまにあるお 宝物 但馬にあるを (出石神社) イマミント ヒホコカヒマコ いまみんと ひほこかひまこ 今 見ん」と ヒボコが曽孫 キヨヒコニ サオシカヤレハ きよひこに さおしかやれは キヨヒコに 直御使 遣れば タテマツル ハホソアシタカ たてまつる はほそあしたか 奉る ハホソ アシタカ ウカカタマ イツシコカタナ うかかたま いつしこかたな ウカカ珠 イツシ小刀 イツシホコ ヒカカミクマノ いつしほこ ひかかみくまの イツシ矛 ヒ鏡 奠の ヒモロケス イテアサノタチ ひもろけす いてあさのたち 胙陶 イテアサの太刀 ヤツノウチ イツシコカタナ やつのうち いつしこかたな 八つの内 イツシ小刀 ノコシオキ ソテニカクシテ のこしおき そてにかくして 残し置き 袖に隠して <御前に> ハキイツル スヘラキコレオ はきいつる すへらきこれお 佩き出づる 皇 これを シロサステ ミキタマハレハ しろさすて みきたまはれは 知ろさずて 御酒 賜はれば ノムトキニ ハタヨリオチテ のむときに はたよりおちて 飲む時に 肌より落ちて アラワルル キミミテイワク あらわるる きみみていわく 露わるる 君 見て曰く ソレナンソ ココニキヨヒコ それなんそ ここにきよひこ 「それ 何ぞ」 ここにキヨヒコ カクシヱス ササクタカラノ かくしゑす ささくたからの 隠し得ず 「捧ぐ宝の タクイナリ キミマタイワク たくいなり きみまたいわく 類なり」 君 また曰く ソノタカラ アニハナレサル そのたから あにはなれさる 「その宝 あに離れざる タクイカト ヨツテササケテ たくいかと よつてささけて 類か」と よって捧げて オサメオク ノチニヒラケハ おさめおく のちにひらけは 納め置く 後に開けば コレウセヌ キヨヒコメシテ これうせぬ きよひこめして これ 失せぬ キヨヒコ 召して モシユクヤ コタエモフサク もしゆくや こたえもふさく 「もし 行くや」 答え申さく サキノクレ コタチミツカラ さきのくれ こたちみつから 「先の暮 小太刀 自ら キタレトモ ソノアスノヒニ きたれとも そのあすのひに 来たれども その翌の日に マタウセヌ キミカシコミテ またうせぬ きみかしこみて また失せぬ」 君 畏みて マタトワス オノツトイタル またとわす おのつといたる また問わず 自づと至る アハチシマ カミトマツリテ あはちしま かみとまつりて 淡路島 神と祭りて (出石神社) ヤシロタツ やしろたつ 社 建つ (他動詞)
コソホキサハヒ こそほきさはひ 九十年二月一日 (天鈴778年) ミコトノリ カクオモトメニ みことのり かくおもとめに 御言宣 「橘を求めに タシマモリ トコヨニユケヨ たしまもり とこよにゆけよ タジマモリ トコヨに行けよ ワカオモフ クニトコタチノ わかおもふ くにとこたちの 我が思ふ クニトコタチの ミヨノハナ コソコホサシヱ みよのはな こそこほさしゑ 御代の木」 九十九年 サシヱ (天鈴787年) アフミハヒ キミマカルトシ あふみはひ きみまかるとし 七月初日 君 罷る 歳 モモミソナ ミコノモハイリ ももみそな みこのもはいり 百三十七 御子の喪罷入り (ヲシロワケ) ヨソヤヨル ハニタテモノシ よそやよる はにたてものし 四十八夜 埴奉物し シハスソカ スカラフシミニ しはすそか すからふしみに 十二月十日 菅原伏見に ミオクリノ タヒモカカヤク みおくりの たひもかかやく 御送りの 灯も輝く カミノミユキソ かみのみゆきそ 神の御幸ぞ
アクルハル ヤヨヒニカエル あくるはる やよひにかえる 明くる春 三月に帰る (天鈴788年) タシマモリ トキシクカクツ たしまもり ときしくかくつ タジマモリ 研き優く橘果 フソヨカコ カクノキヨサホ ふそよかこ かくのきよさほ 二十四篭 橘の木 四竿 カフヨサホ モチキタルマニ かふよさほ もちきたるまに 株 四竿 持ち来たる間に キミマカル ミヤケナカハオ きみまかる みやけなかはお 君 罷る 土産 半ばを ワカミヤエ ナカハオキミノ わかみやえ なかはおきみの 若宮へ 半ばを君の (ヲシロワケ) ミササキニ ササケモフサク みささきに ささけもふさく 御陵に 捧げ申さく コレヱント ハルカニユキシ これゑんと はるかにゆきし 「これ 得んと 遥かに行きし (橘) トコヨトハ カミノカクレノ とこよとは かみのかくれの トコヨとは 神の隠れの (垂仁天皇の死) オヨヒナキ フリオナシムノ およひなき ふりおなしむの 及びなき 風を馴染むの <所> トトセフリ アニオモヒキヤ ととせふり あにおもひきや 十年 経り あに思ひきや シノキヱテ サラカエルトハ しのきゑて さらかえるとは 凌ぎ得て 更 帰るとは スヘラキノ クシヒニヨリテ すへらきの くしひによりて 皇の 貴日によりて カエルイマ ステニサリマス かえるいま すてにさります 帰る今 既に去ります トミイキテ ナニカセントテ とみいきて なにかせんとて 臣 生きて 何か為ん」とて オヒマカル モロモナンタテ おひまかる もろもなんたて 追ひ罷る 諸も涙で カクヨモト トノマエニウヱ かくよもと とのまえにうゑ 橘 四本 殿前に植え (珠城宮) カフヨモト スカハラニウユ かふよもと すかはらにうゆ 株 四本 菅原に植ゆ (菅原伏見陵) ノコシフミ ミコミタマヒテ のこしふみ みこみたまひて 遺し文 御子 見給ひて (ヲシロワケ) カクキミカ ハナタチハナハ かくきみか はなたちはなは 橘君が ハナタチバナは (橘モトヒコ) カレカツマ オシヤマヤリテ かれかつま おしやまやりて 故が妻 オシヤマ 遣りて (タジマモリ) ヨハシムル チチモトヒコト よはしむる ちちもとひこと 呼ばしむる 父 モトヒコと ノホリクル ミコヨロコヒテ のほりくる みこよろこひて 上り来る 御子 喜びて モトヒコニ ユルシハタマヒ もとひこに ゆるしはたまひ モトヒコに 許し衣 賜ひ モオツトム ハナタチハナカ もおつとむ はなたちはなか 喪を務む ハナタチバナが サツキマツ ヨハニウムコニ さつきまつ よはにうむこに 五月末 夜半に生む子に ミコトノリ ムカシノヒトノ みことのり むかしのひとの 御言宣 「昔の人の ヲオトトム ヲトタチハナト をおととむ をとたちはなと 緒を留む ヲトタチバナ」と ナオタマヒ ニタルスカタノ なおたまひ にたるすかたの 名を賜ひ 似たる姿の <タジマモリに> オシヤマニ トツクハハコモ おしやまに とつくははこも オシヤマに 婚ぐ母子も ヲンメクミ フカキユカリノ をんめくみ ふかきゆかりの 御恵み 深き縁りの <オウスとの> タメシナルカナ ためしなるかな 試しなるかな (始まり)
最終更新:2011/04/15
リンク先の説明文中
★印のついたものは他の文献・サイトからの引用。
■印のついたものは筆者の個人的な意見です。
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