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徹底解説ほつまつたえ講座 改訂版第136回 [2024.3.20]

第二五巻 ヒコ尊 ちを得るの文 (2)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 ひこみことちおゑるのあや (その2)
 ヒコ尊 ちを得るの文 https://gejirin.com/hotuma25.html
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 ときにつくしの をさまらて みこみくたりお こふゆえに
 きみきこしめし しのみやお つくしをきみと みことのり
 うつきねはらの みやにゆき いとまおこえは
 むめひとも ともにのほりて みつほなる あまきみをかむ

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 時にツクシの 治まらで 御子御下りを 乞ふゆえに
 君 聞こし召し シノ宮を “ツクシ皇君” と 御言宣
 ウツキネ ハラの 宮に行き 暇を乞えば
 ムメヒトも 共に上りて ミヅホなる 天君拝む

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■御子御下り (みこみくだり)
「中央政府の君の御子が地方に下ること」 をいいます。
これは地方が中央政府の権威を借り、その威光を見せつけて、
公儀に反抗する族を服従させることが狙いです。

 九州は都から遠く、まして中央政府直接ではなく、
 ツツヲ族とスミヨシの枝姓のアヅミ族・ワタツミ族を介しての統治であったため、
 常に反乱が絶えなかったようです。ですからこれ以後も たびたび九州は中央政府に
 勅使の派遣を要請しています。


聞し召す (きこしめす)
ここでは 「心に留める・配慮する・対応する」 などの意となります。


■シノ宮 (しのみや)
「シノ宮の主・シノの宮さま」 の意で、ヒコホオデミ(斎名ウツキネ) の別称です。
ニニキネが国家首都をミヅホ宮に移すに伴って、ウツキネは二荒山の裾野のウツ宮から
オオツシノ宮に移っています。 ▶オオツシノ宮

 アマテル─┐
      ├オシホミミ┐
 セオリツ姫┘     ├┬クシタマホノアカリ
            ││
 タカキネ──チチ姫──┘└ニニキネ  ┌ホノアカリ(斎名ムメヒト)
                ├───┼ホノススミ(斎名サクラギ)
 カグツミ───マウラ──┬アシツ姫  └ヒコホオデミ(斎名ウツキネ)
             │
             └イワナガ


■ツクシ皇君 (つくしをきみ)
「九州を和して恵る中心的存在」 という意の称号です。 ▶ツクシ ▶皇君 ▶和して恵る


■ハラの宮・ハラ宮 (はらのみや・はらみや:孕の宮)
ホツマ国の政都である 「ハラアサマ宮」 をいいます。 ▶ハラアサマ宮
ムメヒトがこの宮の主となってからは “梅皇宮”(むめおおみや) とも呼ばれます。


暇を乞ふ (いとまおこふ)

ムメヒト
ニニキネが国家首都を ミヅホの宮 に移すに伴い、
ムメヒトが2代目のハラ皇君に就任してホツマ国を治めています。 ▶ハラ皇君


■天君 (あまきみ)
アマテルがニニキネに授けた称号 “ワケイカツチの天君” の略です。

 

【概意】
時に九州が治まらず 御子の下向を要請してきたため、
君はそれに応じて シノ宮を “ツクシ皇君” とすると御言宣。
ウツキネはハラの宮に行って 兄に暇を乞うと、
ムメヒトも共に上京して、ミヅホ宮におわす天君に拝謁する。

 

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 ときにきみ つくしはかての たらさるか
 てれはゆきみて たおまさん かれむめひとお をきみとす
 こやねものぬし もろともに ここにととまり まつりきけ
 うつきねすせり きたのつに ゆきてをさめよ
 いささわけ あれはむつめよ

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 時に君 「ツクシは糧の 足らざるか
 てれば行き回て 田を増さん 故ムメヒトを 皇君とす
 コヤネ・モノヌシ 両共に ここに留まり 政 聞け
 ウツキネ・スセリ 北の都に 行きて治めよ
 イササワケ あれば睦めよ」

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てれば (照れば)

■行き回る (ゆきみる)
ユク(往く・行く)+ミル(回る・廻る) の同義語連結です。


コヤネ ■モノヌシ

スセリ
ニニキネが国家首都をミヅホ宮に移すに伴って、この時点では
スセリ(=ホノススミ・斎名サクラギ)は ウカワの宮の主です。


■北の都・北都 (きたのつ・きたつ)
「北の国の中枢・越国の都」 という意で、現在の 敦賀をいいます。

 ★都・津 (つ)
 ツボ(壺)・ツメ(詰め・集め)・ツモ(▽積) などの略で、
 「集積・中心・中枢・要所」 などが原義です。


■イササワケ
イササ(細小些・聊)+ワケ(分け・別け) で、
「些細な対立・不和」 の意と考えていますが、確信はありません。
キタノツ(北の都)は 別名が イササワケ宮(伊奢沙別宮) です。

 この解釈が当っていて、「スセリとウツキネの兄弟対立」 を意味するなら、
 その原因が非常に重要なわけですが、ホツマは黙して語りません。
 斎名の由来からウカワ宮を願ったウツキネの言い分は通らず、スセリが
 ウカワ宮の主となったことを、対立の理由に見せかけているようですが、
 その見せかけの裏には、ホツマツタエですらおおっぴらにできないほどの
 重大な “何か” が隠されていると考えています。


■睦む (むつむ)
ムスブ(結ぶ)の変態で、「和合する・和睦する・融和する」 などの意です。

 

【概意】
時に君は、「九州は食糧が足らないのか。ならば行き巡って田を増やそう。
しかればムメヒトを <留守中の中央政府の> 皇君とする。
コヤネとモノヌシは両者とも ここ(=ミヅホ宮)に留まって政務を執れ。
ウツキネとスセリは北の都に行って治めよ。些細な対立があるなら和睦しろよ。」


 一度は、シノ宮(=ウツキネ)を “ツクシ皇君” として九州に派遣しようとしますが、
 九州が治まらない原因が食糧不足にあることがわかると、それを取りやめ、
 天君みずから九州に出向いて農地を開発することにしたということです。
 またウツキネとスセリは北の都を治めることになりますが、この理由は不明です。

 

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 あまきみは にしのみやより かめにのり
 つくしうましの うとにつき つくしあまねく めくりかり
 いせきつつみに あらたなす のりさたむれは

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 天君は 西宮より カメに乗り
 “ツクシウマシの ウト” に着き ツクシあまねく 恵り駆り
 井堰・堤に 新田生す 法 定むれば

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■西宮 (にしのみや)
西宮は瀬戸内海の水路の要衝です。淀川を 大和・山背・近江 にまで
逆上れたため、海と川の船をここで乗り換えました。
この場合ニニキネは、琵琶湖畔のミヅホ宮から 瀬田川ー宇治川ー淀川 と
下って西宮に着き、そこで船を乗り換えて瀬戸内海を西に向かいます。


■カメ (瓶・亀)
「カメ船」 の略で、“オカメ” とも “オオカメ” とも呼ばれます。
亀に似せた比較的大型の櫂漕ぎ船と考えていますが、不詳です。 ▶船


■ツクシウマシのウト (▽尽し熟しの疎)
「果ての果ての果て」 という原義で、 「九州の南の果ての浜」 を意味しますが、
宮崎市の “鵜戸” の浜に特定はできません。九州南部の海岸すべてに可能性があります。
  
 “ツクシ” は ツクス(尽くす)の名詞形で、「極み・際・果て」 を意味します。
 “ウマシ” は ウム(熟む)シク(如く) から ‘ク’ を省いたク語法で、
 これも 「熟成・至り・極み・果て」 を意味します。
 また “ウト” は ウトム(疎む)の母動詞 ウツ(棄つ) の名詞形で、
 やはり 「離し・分け・際・果て・境界」 などの意です。 ▶うど


■恵り駆る (めぐりかる)
メグル(▽恵る)+カル(駆る) の連結で、これも 「恵んで回る・巡幸する」 という意です。

 ★駆る (かる)
 カク(駆く)と同義で、「回る/回す・巡る/巡らす・行き来する/させる・動く/動かす」
 などが原義です。“からから回る” のカラは この名詞形で、“くるくる/ぐるぐる” の
 クル(▽転る)、“ころころ” のコロ(転) などの変態です。

 

【概意】
天君は西宮よりカメ船に乗って九州の果ての浜に着き、
九州をあまねく巡幸して、井堰・堤を建てて新田を開く方法を定着させると、

 

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 すみよしの まこほたかみや しかのかみ つくしにこえは
 そをのはて かこにこえとも
 ひめもすに つきすむまても みおつくし
 みとせにさしゑ ほほなりて つくりおこない 治めしむ

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 スミヨシの 孫ホタカミや シガの守 ツクシに乞えば
 ソヲのハテ カゴに乞えども
 ひめもすに 月澄む迄も 身を尽くし
 三年に指絵 ほぼ成りて 造り行い 治めしむ

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■スミヨシ・スミヨロシ・スミヱ・スミノヱ (住吉・▽州寄・▽州合)
カナサキの別名で、「ツキスミせる者/わす者」 という意です。 ▶カナサキ ▶ツキスミ(尽州)
二尊の時代からの重鎮で、その先祖は船を開発し、代々船に関わってきた一族です。
イサナキの命により九州統治の元締となり、枝姓のアヅミ・ムナカタ を率いて九州を統治します。
次代のアマテルもカナサキに九州の統治を委任しました。

・ツキスミは シマツヒコより 七代統む
 今
カナサキの 枝姓 ムナカタ・アヅミ 助けしむ 〈ホ6ー2〉
・また
カナサキは “スミヨロシ尊” のヲシテと 御衣の末 賜ふ 
 「ツクシの 民 統べて 結ひ治むべし 我が代り」 〈ホ8ー9〉


■ホタカミ
スミヨシ(=カナサキ)の孫で、九州を治める有力な地守の1人です。
新撰姓氏録に 穂高見命 と記されますが、カナサキと混同されてます。

 穂高神社 (ほたかじんじゃ)
 信濃国安曇郡。長野県安曇野市穂高6079。
 現在の祭神:穗高見命、綿津見神、瓊瓊杵尊


■シガの守 (しがのかみ)・シガ
やはりスミヨシの孫で、これも九州を治める有力な地守の1人です。
志賀海(=博多湾)周辺の地域を治めているようで、カスヤ(粕谷・粕屋・糟屋)とも呼ばれます。


■ツクシ (筑州・筑紫)
このツクシは九州全体をいうのではなく、
後の 「筑前国+筑後国=筑州」、現在の 「福岡県」 です。 ▶筑州


■ソヲ (曽於)
スヱ(末)の変態で、「下・末・隅・端・果て」 を意味します。
九州の最南部を指す地名で、おおよそ 「宮崎県南部+鹿児島県」 です。


■ハテ (果て) ■ハテスミ・ハテツミ(果て統み) ■ハテカミ(果て守)
やはりスミヨシの孫で、ソヲ(曽於)の国を治める有力な地守です。
ハテは 「果て」 の意で、これはソヲ(曽於)の換言です。
ハテスミ/ハテツミ(果て統み)・ハテカミ(果て守) とも呼ばれます。

 他の文献にはハテの名は登場せず、トヨタマヒコ(豊玉彦)の名で呼ばれています。


■カゴ (鹿児・籠・▽囲)
カコム(囲む)の母動詞 “カク” の名詞形で、「囲むもの・画すもの」 が原義です。
この場合は カゴシマ(鹿児島・籠州) の略です。


ひめもす (終日)

■月澄む (つきすむ)
「月が澄む・月が冴える」 の意で、つまり 「夕方の薄明かりが失せる・夜がふける」 ということです。
またこれは ツキスミ(=九州) に語呂合せしての表現です。


■身を尽くす (みおつくす)
「心身を尽くす」 の意です。 ▶ミ (身/実・霊)
ツクス(尽す)もやはり ツクシ(=九州) に語呂合せしての表現です。


指絵 (さしゑ)

■造り行い治めしむ (つくりおこないをさめしむ)
「建設し、運営し、管理させる」 という意です。

 ★行ふ (おこなふ)
 オク+ナフ の連結で、オクは オクル(送る)の母動詞、ナフは タム(回む)の変態。
 「回す・動かす・事を運ぶ・運転/運営する・ルーチンをこなす」 などが原義で、
 イトナム(営む)の同義語です。

 

【概意】
スミヨシの孫のホダカミやシガの守は 筑州への御幸を乞い、
曽於国のハテは鹿児島への御幸を乞えども、
終日 月が澄むまで心身を尽せば、3年にて計画はほぼ完成。
新田を造り、運営・管理させる。

 

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 のちにみつほに かえませは
 むめひとをきみ しわかみの ほつまのみやに かえりますかな

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 後にミヅホに 帰えませば
 ムメヒト皇君 “地上の ほつまの宮” に 帰りますかな

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■帰えます (かえます)
カフ(返ふ・▽帰ふ)+マス(尊敬) で、「帰ります」 と同じです。


■ムメヒト皇君 (むめひとをきみ)
2代目の “ハラの皇君” であるムメヒトをいうと同時に、
ニニキネの留守中、“ミヅホ宮(中央政府)の皇君” を努めたムメヒトをいいます。 ▶皇君


■地上のほつまの宮 (しわかみのほつまのみや)
これもホツマ国の政都である 「ハラアサマ宮」 の換言です。 ▶地上ほつま

 

【概意】
その後にミヅホの宮に帰りませば、
ムメヒト皇君も “地上のホツマの宮” に帰りますかな。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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