オオタタネコ・ヲヲタタネコ

→ 語義
  

大田田根子命。意富多々泥古命。 
オミケヌシの孫。タケイイカタスの子。 
大三輪氏の祖。ホツマツタヱの編者。スヱトシは斎名か。 
自称:オオモノヌシ(コモリ) が、スヱツミの娘のイクタマヨリ姫の間に生んだモノヌシの、オオミワ神の子孫。

ミマキイリヒコ(10代崇神天皇) の時、チハラメクハシ姫オオミナクチイセヲウミの三人が同じ夢を見て天皇に上奏する。天皇も同じ夢を見ていたので、夢合わせだとして、その夢の告げ通りにオオミワ神 (大神神社) 斎主にされ、同時にシナガオイチオオクニタマ (大和神社) 斎主になされる。この二人、オオタタネコはミマキの時代には衰退していたオオモノヌシ家の子孫。シナガオイチはシイネツヒコの子孫で、シイネツヒコがタケヒトのヤマト討ちの大功によりヤマトの国造に処されて以来、やはり冷遇されていたのだと思われる。このあたりはいろんなことを想像させてくれる。

崇神天皇らの夢の告げ通りに、オオミワの神の斎主とされた。 
宇陀スミ坂オオ坂などで大臣カシマと共に霊還しをやっている。
四道の勅使ヱビスを平定したという報告が来たとき、箸塚で『折れ枯れの結解く祭』を執り行う(ノリノイチ)
老朽化したカモの神 (ワケイカツチ神御祖神) の社を、イクメイリヒコ(11代垂仁天皇) に進言して新築し、宮遷しの時には勅使を務める。 
ヤマトタケの葬送では斎う勅使人(斎主か)を勤める。
  

奈良県桜井市三輪、大神 (オオミワ) 神社
奈良県御所市大字多田字正神口、多太 (タタ) 神社
大阪府堺市上之、陶荒田 (スエアラタ) 神社
奈良県桜井市大字三輪字若宮、大直禰子 (オオタタネコ) 神社
  

★『旧事』出雲の神門臣(カムトノオミ) の娘の美気姫(ミケヒメ) を娶り一男、大御気持命(オオミケモチ) を生む。
■崇神天皇の捜索により、茅渟(チヌ)陶邑(スヱムラ) でタタネコは発見されている。スヱツミの拠点か。

  

ソサノヲオホナムチクシヒココモリカンタチフキネ
                   ┃
                   ┗ツミハ━━━━┓
                                                      ┃
  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
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  ┗クシミカタマアダツクシネタケイイカツ━タケミカジリ┓
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  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  ┃
  ┗ミケヌシオミケヌシ━タケイイカタス━オオタタネコ┓
                                                      ┃
  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
  ┃
  ┗ミケモチオオカモツミ
            ┃  
            ┣オオトモヌシ
      ┃
            ┗タタヒコ
   

ミワの臣 ヲヲタタネコが 捧げんと 二百三十四歳 謹しみて押す』
『この夜の夢に "我はこれ オオモノヌシの 神なるが  な憂ひそ 治せざるは 我が心あり"』33文
『"我が オオタタネコに 祭らさば ひとしく平れて 遠つ地も 真に服ふ"』33文
『"夢に神あり タタネコを オオモノヌシの 斎主 シナガヲイチを 大ヤマト クニタマ神の 斎主 なさば平けべし"』33文
これに 夢合せして 告れ求む オオタタネコを 茅渟 に ありと告ぐれば  君 八十と 茅渟に御幸し』33文
『昔 モノヌシ スエスミが イクタマと生む モノヌシの オオミワ尊の 裔なり』33文
イキシコヲ 八十平瓮成し これを以て オオタタネコを 斎主 オオミワの神 ナガヲイチ オオクニタマの 斎主』33文
『四月四日 タカハ師 イクヒ  うま酒造り ミワ神に その酒うまし  十二月八日 タタネコ遣りて 御幸なる』33文
『四月二十二日 大臣カシマと タタネコと "霊還し" 宣り 纏らしむ 故に明るき』33文
『四道の エビス平け に告ぐれば 国安ぐ 秋 タタネコに 折れ枯れの 結解く纏りを 箸塚に なせば輝く 宣りの市34文
ミワタタネコ 山背が に到れば サラス問ふ "娘一人を 三家に乞ふ 誰に遣りても 二は恨む 極め指し給へ"』37文
『"明日 賀茂神の 御前にて 極め定めん" と 共に行く』37文
御祖の神に 和幣成し  奉るワカ "天地の 和の栄えを 祝はるる 夫婦の御祖の 神ぞ尊き"』37文
『時に 告げの御歌に "世の中に もの思ふ人の 有りと言うは 我を頼まぬ 人にぞありける"』37文
神歌を 聞きて
タタネコ 曰く "これ 迷ふ謂なり 今よりぞ 百日詣でて 来たりませ 我 計らん" と37文
『行く貴船 タタネコが歌 "アワ海の 安曇の神と スミノヱも 共に貴船の 守り神かな"』37文
賀茂に行き ワケイカツチの 神もまた 和幣とワカと "人草を ワケイカツチの 守る故 代は治まる カモの神風"』37文
タタネコは 璽 捧げて "賀茂の宮 粗るるを付して 思みれば 賀茂妹背とは 上祖なり すでに破れて 稜威細し"』37文
聞こし召し タタネコが 孫クラマロを 斎主 名もオオカモと 賀茂社 新に造らせ』37文
『十一月十五日 御祖 渡坐し  翌十六日 ワケイカツチの 宮移し オオタタネコを 差使和幣納むる』37文
アイチタに建つ  成りて 渡座し乞えば 御言宣 "タタネコ 斎ふ 差使人  代殿 御子達を 神逝の供え"』40文
斎ひ差使 臣十二人 付き 神逝守』40文
『この時御使 タタネコと 尾張連と 新ハラの オホマの神と 名付くなり』
40文
『この時に ミワタタネコ 御代の文 編みて上代の ほつま道と 四十文成して』40文
クニナツに 示せば互ひ ミカサ文 見映え示して あい語り 新たに染めて 二家より 上げ奉る』40文
この文は 昔 モノヌシ 御言宣  受けて作りて 阿波宮に 入れ置く 後の 代々の文 まちまちなれば』40文
『見ん人も 予めにて な謗りそ 百千試み 遥かなる 奥の神道へ まさに入るべし』40文
『時 上鈴 八百四十三年の 秋天日 これ 奉る ミワの臣 スヱトシ畏れ 謹みて染む』40文
『君は "御機"を 染めませば も "ミカサの "を染む』ミ序
オオタタネコも "ホツマ文" 染め捧ぐれば 三種法 具ふ宝と 御言宣』ミ序
も上ぐれば 御言宣 "三種の道の 具わりて 幸得る今" と 宣給えば 各々上祖 祭るべし』ミ序
ヲオミワの タタネコが歳 二百三十四 謹み展べて 添える餞押』ミ序

  

  

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