イヅモ

→ 語義

  
出雲 (霊潰/霊詰)。
どうやらイサワの地から見て西北方向にある地域はすべてイヅモらしい。例えば山背国の北部全体を「出雲路」とも称した。またユカワタナホンツワケの為にクグヒを捉えた「イヅモウヤヱ」という所、これは現在の京都府京丹後市に当る。すると元々のイヅモは「日の沈む方角」の意と考えて良さそうだ。
ソサノヲが罪を許された後、サホコ国に替えてイヅモとしたとあるが、このイヅモには別の意味が加わっている。
 

★『近畿地方に於ける神社
山端(やまばな)の北手に高野村といふ處がありますが、其處に出雲高野神社といふものがあつたといふことであります。今日ではそれが變りまして崇道神社といふものになつて居ります。それが出雲高野神社であるといふことを、色々神社の研究をした人が考證して居ります。又京都の北部全體を出雲路と稱して居ります
  

『頷き向ふ 八十 続き サホコの宮の アサヒ神 拝みて到る イツモ方の 道にたたずむ 下民や』9文
陽陰晴れて 敬いもふす 貴霊寄り 清郷に屹く 宮の名も 'クシイナタ' なり サホコ国 代えてイツモの 国はこれ』9文
オホナムチには クシヒコを オオモノヌシの 代りとて コトシロヌシと 仕えしめ 己はイヅモに 教ゆるに』9文
枝 しぼみて フトマニの "シチリ" は家漏り 激しくて 西北隅の国 見せしむる』10文
『"イヅモ 立たすは 誰 良けん" "ホヒの尊" と 皆 言えば ホヒの尊に 平けしむる』10文
イヅモキツキに 曲治の 剣を植えて うづくまり 詰り問ふなり』10文
『子のタケトメを 臣に請ふ タケヅツクサの 纏り継ぐ タケダの祖ぞ 尊宝 出雲に納む』32文
カセフ纏りは オオナムチ 出雲田和の 例し以て 六月十六日 纏りなす その教草の 守り以て』32文
『それより 山背も 筑紫 "直り" も 出雲にも 伊勢花山も 年毎に 纏る "カセフ" ぞ』32文
『新に返りて 都路と  浦・島 訪ね 出雲経て ややここに着く 神祭 ここにあり』34文
『"タケヒテル  昔 捧げし 尊宝 出雲にあるを 見まく欲し" タケモロズミを 遣わせば』34文
『後フリネ 帰えてヰイリネ 責め曰く "幾日も待たで 何ど恐る 出雲は上の 道の本 八百万文を 隠し置く』34文
フリネ討たれて 出雲臣 恐れて神の 祭せず』34文
『ある日ヒカトベ 若宮に 告ぐる我が子の この頃の歌 "玉藻垂つ 出雲祭らば まくさまじ"』34文
『"日夜見御使 フリネ 御明暗見 三十九宝の 神殻主 だに身屈り 神霊 垂づが 和し厳みは 神殻主やも"』34文
『歌の謂 神の告げかと に告げ "出雲祭れ" と 御言宣』34文
ユカワタナ  飛ぶ方  追ひ尋ね 但馬出雲 ウヤヱにて ついに捕り得て 十一月二日 ホンツの御子に 奉る』36文
ノミのスクネが 申さくは "生けるを埋む 例しとは あに良からんや 計らん" と 出雲埴仕侍 百召して』37文
『昔 出雲の 国 開く ムラクモ剣 これなるぞ 謹み受けて 仇 平けよ な怠りそ" と 授けます』39文
『また搾り酒 ソサノヲの イヅモに初め 造るこれなり』ミ2文

  

  

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