タケヒ・オオトモタケヒ

→ 語義
  

大伴武日 (負伴高日)。
タケヒ朝臣。
垂仁
25年、阿倍の祖タケヌナガワ・和邇の祖ヒコクニフク・中臣の祖オオカシマ・物部の祖トイチネと共に、厚く神祇を祭祀せよとの詔を賜わる(五大夫)。 
イセ宮完成の時、皇太子(ヤマトヲシロワケ) の代わりに詣でる。 
景行
の40年、諏訪サカオリ宮を預かるタケヒは上京してヱミシ討伐を要請。 
ヤマトタケ
のヱミシ征伐に随行し、タケの水門ではヤマトタケの勅使として、ヒタカミミチノクと直接交渉している。
ヱミシ討伐後に靫部に任ぜられ、甲斐・駿河の二国を賜る。大伴連の祖。
  

山梨県西八代郡市川大門町弓削、弓削 (ユゲ) 神社
滋賀県大津市神領、建部 (タケベ) 神社
静岡県静岡市清水区山切字宮平、久佐奈岐 (クサナギ) 神社
  

★『書記』甲斐国の酒折宮で靫負部を賜わる。

■「大伴」は「負う伴」で靫負部のことを言っているのだと思われる。
  『大伴の 名に負ふ靫 負ひて 万代に 頼みし心 何所か寄せむ』万三
  『靫懸くる 伴の男広き 大伴に 国栄えむと 月は照るらし』万七

■タケヒはアメオシヒミチヲミの子孫というが、まったく信用できない。タケヒという名前や、諏訪サカオリ宮との関連から見て、タケヒテルの子孫ではないかと思う。  
  
  

ホノアカリ┐
     ├┬ニギハヤヒ──────ウマシマチ
タマネ姫─┘│
      └タケテル(タケヒテル)─タケトメ
          ┌…─…─…─…─┘
          :
          │   タカクラシタ┐
               :        アメヰダキアメオシヲ─┬オキツヨソ
          │クメイスキヨリ姫┘            ├建額赤彦──┐
             :   (カンタケより下される)              └ヨソタリ姫  │
           │    ┌─────────────────────────┘
          :    │
          │    └タケヅツグサタケトメ─┬健宇那比命─┬タケモロズミ
          :             ↑   │      └オオアマ姫
          └…─…─…─…─…─…─┘   │
               (養子)         └健多乎利命オトヨミヤズ姫
                                         ┃
                                       ヤマトタケ
  
  

『二十五年の 二月八日に 御言宣 タケヌガワケと クニフクと ミカサカシマと トイチネと タケヒら 諸に』
『我が御親 ミマキは聡く ほつま知る 誤り正し 謙り下り 神を崇めて 己を懲らす  故 繁篤く 民 豊か』
『今 我が代にも 怠らず 神祭らん" と』
36文
モノベトチネを 御上から タケヒ朝臣を 皇子代り" 各々詣で』36文
纏向の 日代の四十年 六月 ホツマ騒げば サカオリの タケヒ上りて 巡幸り乞ふ』39文
『拝みて 吉備の タケヒコと オオトモタケヒ  従えり ナナツカハギを 膳出と 十月二日に 門出して』39文
ヤマトタケ 矢倉の岳に 登り見て キビタケヒコを 大磯へ オオトモタケヒ 大山の 北に回りて 城に入れ 南北に分ちて』39文
ヒタカミのミチノク シマツミチヒコと 国造五人 県主  百七十四人 万輩 タケの水門に 拒む時』39文
タケヒを遣りて これを召す 
シマツの守は あらかじめ 威勢に恐れ 弓矢棄て 御前に伏して 服ひぬ39文
タケヒまた行く ヒタカミの ミチノクに告ぐ 差使人 ミチノク門に 出で迎え』39文
ミチノク曰く "いま 人の皇 君として 仕える汝 衰えり 今来て国を 奪わんや"』39文
タケヒの曰く "上の御子 を召せど 服わず 故に討つなり"』39文
タケヒほほえみ "これ 井中に住んで 沢を見ず 言 好きに似て 当らずぞ 確と聞くべし これ説かん"』39文
『昔アスカの ナガスネが  盗めども アスカ君 正さぬ故に "乗り下せ ホツマ方平む 天下斎船" 世に歌ふ』
39文
シホツ翁が "これ行きて 平けざらんや"と 勧む故 大和正せば 大御神 カシマの神に 御言宣』
『"行きて打つべし" その応え " 行かずとも 国平けの 剣 下して タカクラに これ捧げしむ"』
39文
タケヒトは 君たる稜威の ある故に 陽陰より続く 上の御子 代々に和照る  代々  君なく 何れぞや』
39文
『答えて "イセ" と また曰く ”和照らす上 暦 成し ソロ植えさせて 糧 増やし 身を保たしむ"』
39文
『百七十九 万三千 続く この世見て いま日の輪内に 御座します 御孫の代々の 民 治む 日に擬えて 和君ぞ』39文
は代々に 稔り受け 命つなぎて 未だその 君に返言 申さぬは その罪積もり 幾らぞや』39文
『抜け道ありや 我が君は 上ならずや』39文
『この靫 重く 二百重あり 負い手求むる オオトモの 侍四人 負い替り39文
タケヒをば 靫侍を兼ねて 甲斐・駿河 二国守と 殊を褒む』39文
君 山の日は 
休み 我が君に言ふ "統君 僕らハナフリ ソロリには タケタ賜はる 何の殊"39文
タケヒの曰く "歌の殊" また問ふ "彼は アワならず 何の歌ぞや" また曰く39文
十九歌 昔 サユリ姫 歳十九の時 タギシ御子 慕ひ恋ふ故 そのが 呼び出す時に 姫悟り 除く十九歌』39文
『"天つ地 娶ります君と 何ど避ける 止"』
39文
『その十九素 数えて中を 壺要 この歌続き 数え物 折合せ目に "けり" もあり 君と我とは 続きけり』
39文
『よこかめ取るを 逆しまに "るとめ" に止めて 断ち切れば 忠も操も 表わせり 故 直も伝す ものも伝す 続き歌なり』39文
ナツカハギ ここに居て問ふ "継ぎありや" タケヒ答えて』39文
『八十ありて 初は "起り" と 次は "受け" 三つは "転た" に 四つ "合わせ"』39文
『五つは "直言" 六つは "連れ" 七は "尽き詰め" 八つは "尽き"』39文
『表 四連ね 忠操 両方に通わす 裏 四連れ 果つば頭の 五ヲシテへ 回らし連ぬ』39文
『その継ぎは "打越" "心" "転た" "更り" 本に群がる 一連ね』39文
『十六(句)を一織 総べ五織 八十を百とし 織は二十 故 織留の ツズ "ハタチ" 織初のツズ "合要"』39文
織詰のツズ 三十九 "ハナ"  三の詰五十九 ツズ "サツメ" 四の詰七十九 ツズ "フツメ" 五の詰九十九 ツズ "ツクモ"』39文
『五節 匂の 放は揺り[花は百合] 本歌は君 その余り 枝や裔を 八十続き なお深き旨 習い受くべし』39文
『また問ふは "八十を百とす 数 如何ん" 答えは " また配る 本歌を二十"』39文
『返し問ふ "ユリが初めか" 答え言ふ "上代にもあり"』39文
御祖神 連のヲシテや 陽陰御子の 日向に坐す ヤマト方の 流行り歌にも "乗り下せ ホツマ方平む 天下斎船"』39文
シホツツヲ 勧めて大和 打たしむる これ折返に "天日西" あり 故 打ち取るを 好しとなす』39文
ユリ姫も十九(歳) 歌も十九(音) 忠と操と 表わせば 続き歌詠む 法となる』39文
『ついにホツマの 政事 に通れば 悉く 纏ろふ時ぞ 歌は地 力は 賜はりし』39文
『"は神か" と みな愛つむ』39文
タケヒは先に 相模より ヱミシの土産  持ち上り に捧げ 悉く 纏らふ形 申さしむ』39文

  

  

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