カヱシネ

→ 語義
  

観松彦香殖稲尊。
第5代孝昭(こうしょう)天皇。 
オオヤマトヒコスキトモ
(4代懿徳天皇) 内宮アメトヨツ姫の子。斎名:ミルヒト。 
カタギワキカミのヰケココロ(葛城掖上池心宮) に遷都。 
113歳で罷る。 
崩御から33年後に、ようやくハカタの洞 (掖上博多山)に葬られる。 
姫や臣たちが死ぬのを待って、一緒に葬ったらしい。生き残った3人も追い罷る。

  

オオヤマトヒコスキトモ┐
           ├─────カヱシネ(孝昭天皇)
アメトヨツ姫─────┘        ┃
                    ┃
オハリ連祖アメオシヲ───────ヨソタリ姫[内宮]─────┬(1)アマタラシヒコクニ
                    ┃         │
シギ県主ワカハヱ─────────ヌナギ姫[典侍]      └(2)ヤマトタリヒコクニ
                    ┃             (孝安天皇)
カスガ県主サタヒコ────────オオヰ姫[長橋]
 
  

内宮  :ヨソタリ姫 (尾張連アメオシヲの娘)  (1)アマタラシヒコクニ (2)ヤマトタリヒコクニ
典侍  :ヌナギ姫 (磯城県ワカハヱの娘)
長橋  :オオヰ姫 (春日県サタヒコの娘)
  

ケクニ臣イヅシココロオキツヨソ
  

■上鈴213年(懿徳5年)生まれ。上鈴243年(31歳)即位。上鈴325年(113歳)崩御。
★『書紀・旧事』観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)
  

住吉に御幸 海松を見て の生む御子 カヱシネの 斎名ミルヒト 内の父 イキシ親君31文
『二十二年 二月ツシトは 十二日ヲシヱ カエシネ御子を 代嗣 成る 今年十八なり』31文
『三十四年 九月八日に  罷る 若宮 神に 仕えんと 喪還一年まで 敬えなす 生き坐す如く』31文
『明くる冬 送る畝傍の 真名子谷 七十四に坐して 送る臣 問はず語りや 若君も 送り納めて 穢 返します』31文
和つ日月を 受け継ぎて カヱシネ天の 皇君 飾り拝ませ 四月五日 御上后と を上げ』31文
葛城腋上 池心 都 移して 初年に イツシココロを ケクニ臣31文
『君 歳三十一 境岡 若宮の時 ワカハヱが ヌナギ姫典侍31文
サタヒコが 姫のオオヰ姫は 
長橋に ヲシテ扱ふ 仮典侍よ 内侍六人 四人 青侍三十人』31文
『二十九年 キシヱ一月三日 立つ ヨソタリ姫の 歳十五ぞ』31文
『昔 ヤヒコに ユリ姫を 賜えば生める アメヰダキ 子のアメオシヲ 孫娘 ヨソタリはこれ』31文
『三十一年 内宮の兄 オキツヨソ なるケクニ臣31文
『四十五年 五月十五日に 生む 
斎名オシキネ アメタラシ ヒコクニの御子』31文
『四十九年 キミヱ初日に 生む 
斎名オシヒト ヤマトタリ ヒコクニの御子 生む時に 朝日輝き』31文
『六十八年 一月十四日に オシヒトを 若宮となす 歳二十 翌日オシキネを 親君とし 春日を賜ふ』31文
『八十三年 秋八月五日  罷る 歳百十三ぞ 臣 后 みな留まりて 喪に仕ふ』31文
皇子 神祭る 歳三十五 親に継がえて 民 治む』31文
『三十三年後 八月十四 送る御上の 骸を 博多の洞に 納むなり』31文
『臣・侍の骸も みな納む  生きる三人も 追ひ罷る 陽陰御子法や』31文

  

  

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