カンバラジンジャ

 
神原神社
島根県大原郡加茂町大字神原。 
祭神:大国主命イワツツオ命、イワツツメ命
   

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「風土記」には、神原郷は「古老伝えて言う。オオクニヌシノミコトの神御財を積み置きなさったところなので、神財郷(かみたからのさと) というべきなのに、今の人は誤って神原郷という」。

古伝では、アマテラスオオミカミがオオクニヌシノミコトの神宝や真種の甘美鏡 (水底に眠る神威溢れる見事な宝) を天の八十河にいるイワツツオ・イワツツメノミコトを派遣して管理させたといい、またある言い伝えでは、ハヤタマオノミコトコトサカオノミコトも派遣されたという。ここには松井淵という神の池とも言われる清らかな深淵があったといわれており、水底にあった甘美鏡はこの淵にあったということなのだろうかと想像をたくましくする。

神社由緒書きによると、「日本書紀」崇神天皇垂仁天皇の条に見える「神宝」とは神原神社の神宝も当然含むと断言している。

神原郷の東西に大舎押山、小舎押山が対峙してそびえていた。古老によると、大舎押山は兄・振根の領地。小舎押山は弟・飯入根の領地だったという。互いに領地をめぐって争うこともあったらしい。振根の墓は神原郷の兄塚で、弟の墓は宿米塚といったが、大舎押社・小舎押社は時代が移り変わるなかで社殿がなくなってしまった。

ある言い伝えでは、陰暦10月10日には、八百万の神がこの神原にやってきて、往古は御供百手の神事が行われたとある。そして、同月21日には諸神佐陀の里(八束郡鹿島町)へ集まり、26日にはまた神原に帰ってきたという。

大原郡斐伊社を武蔵国に氷川神社として勧請するにあたり、神原神社に伝わる出雲神宝・十握剣 (とつかのつるぎ)をもってその御神霊の御霊代にお祀りしたという。
本物は武蔵国の氷川さまにあげて、その模写したものを神原神社では神宝とした。

  

  

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