ヒコサシマ

→ 語義
  

彦狭嶋命。日子刺肩別命。日子寤間命。 
オオヤマトフトニ
(7代孝霊天皇) 内侍ハエ姫から生まれた三つ子の一人。
孝霊天皇の53年に西国政情不穏のため、イササワケに派遣され越の国を治める。

  

ヤマトタリヒコクニ┐
    (孝安天皇)├────オオヤマトフトニ(孝霊天皇)
オシ姫──────┘      ┃
                ┃
シギ県主オオメ───────ホソ姫[内宮]───────(7)ヤマトクニクル
                ┃           (孝元天皇)
カスガ県主チチハヤ─────ヤマカ姫[典侍]
                ┃
トイチ県主マソヲ──────マシタ姫[勾当]
                ┃
大和国造   ───┬───ヤマトクニカ姫[内侍]──┬(1)ヤマトモモソ姫
          │   (ヤマト大宮女)     │
          │     ┃      三つ子├(2)ヤマトヰサセリヒコ
          │     ┃         │
          │     ┃         └(3)ヤマトワカヤ姫
          │     ┃
          └───ハヘ姫[内侍]──────┬(4)兄ワカタケヒコ
              (若大宮女)       │
                       三つ子├(5)ヒコサシマ
                          │
                          └(6)弟ワカタケヒコ

  

富山県砺波市池原南山、荊波 (ウバラ) 神社
岡山県岡山市吉備津、吉備津 (キビツ) 神社
愛媛県伊予郡松前町神崎、伊予 (イヨ) 神社
  

★『古事記』によれば第7代孝霊天皇の次子日子刺肩別の命が、後の高志の利波の臣や、越前角鹿(敦賀)の海直の祖であるといわれ、利波臣志留志は、この日子刺肩別の末孫といわれ、天平時代にはすでに此の越中において有力な存在となるまでに成長していたものである。 
★『旧事』成務天皇の時、垂仁天皇の子、大入来命の孫、彦狭嶋命を能登の国造にする。
  

ハエ姫も また三つ子生む  名は兄ワカ タケヒコの 中 ヒコサシマ 弟ワカタケヒコ  母も上げ 若大宮姫32文
兄ワカタケヒコ 吉備上方 弟ワカタケヒコ 吉備下方 その分け 融きて 服わす イササワケへは ヒコサシマ 越国を治す』32文

  

  

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