ミヤケジンジャ(1)

 
三宅神社 (二宮神社)
静岡県引佐郡引佐町井伊谷。 
祭神:多道間守命、宗良親王
  

第十一代垂仁天皇の勅諚に応え、常世の国から我国へ橘を招来したのが、この祖神多道間守で、当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴する井桁と、当三宅神社の橘とを家文と致しました。

  

  

ミヤケジンジャ(2)

 
三宅神社
新潟県長岡市六日市町。 
祭神:波多武彦命、天美明命
  

大彦命の子の波多武日子命が、新羅国王子の天日桙命の娘・天美明命を婚り、越の国を賜ってこの地に来り、神名倉山に三つの殿を造られた。
  

★『古證古記』によれば、祭神は大彦命の御子『波多武日子命』、新羅国王女『天美明命』を娶り給ひ、漢『高祖』の裔孫『王仁公』を召し従ひ、大和より来臨、越の中ツ国に館を定め『小丹生(ヲニフ)の三官(ミキミ)』と称し、登千尾谷(栃尾谷)より賀摩原埼(蒲原埼)猿橋迄を神領として治定された。三官薨去の後、波多武日子、天美明命二神は越の川東金蔵山(長岡市妙見町金倉山)三ツ嶺に鎮り、王仁公は古志の宮内ケ岡に鎮座し一王神と称した (長岡市宮内・高彦根神社)。小丹生三官の裔は、古志連となり、蒲原の小栗山に居住したが、再び古居に館を構へた。これを三官の館と称し、古志一円を治め、先祖の波多武日子命、天美明命の霊を奉じ、須佐之男命と共に小丹生ケ岡に祀り、八束の御剣を神器として奉斎した。天喜年間(一〇五三〜五八)熱田ケ岡に遷り、永く土民の尊信をあつめ、社運の繁栄をみた。

  

  

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